ザ・怪奇ブログ

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マテリアル 22最終話

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 暗く湿った教会の中で、その白い物体は小山のような巨体を揺らしな
がら、水辺から姿を現した。

 それを表現するとすれば、やはり蛸と言えるだろうか?だがその足は、
大木の幹のように太く、まるで巨大なヒルのように伸びたりちじんだり
を繰り返した。

 その小山のような奇怪な代物の中央に、ヤツメウナギのような真っ赤
な口がついており、閉じたり開いたりしていた。

「…これが、この怪物がマテリアルだって?」
「そうよ。見事なものでしょう?」

 私にナイフを突き付けたまま間宮先生は、唖然として怪物を見上げる
博士に言った。

「この白い身体から分泌する液体から、様々な物が生成されるの。細胞
をどんどん増殖させる強靭な生命力は、万能薬として利用出来るのよ。
私の死んだ細胞を活性化させて、生き返らせたようにね。もちろん、誰
でもそんな物を作れる訳ではないけど…。」

「こんな生き物は見た事がない…一体こいつは何なんだ?」

 不気味な怪物を前に、黒ずくめの博士は興味津々で間宮先生に尋ね
る。私もその白い物体に目を奪われていた。

「…いつの頃か知らないけど、錬金術の過程で人によって生み出された
ものだそうよ。最初はほんの数センチにも満たない生物で、血を与える
事によって成長する…ここで私が初めて見た時はこの半分くらいの大き
さだった。」

 激しい音を立てて、警部補が拳銃を怪物に向けて発射した。
広い教会内に轟音がこだまして、私はたまらずに耳を塞ぐ。しかし銃弾
は、化物の弾力のある身体に飲み込まれるように吸収されただけだった。

「無駄よ。それの身体には銃なんて無意味なの。そもそも痛みも感じな
いし音にも反応しない、おとなしい生き物よ。ただ、流された血にだけ
反応する…」

 そう言って間宮先生はまたも私にナイフを突き付けながら、警部補へ
向けて言い放った。

「…だから、この娘が傷つかないうちに、ここから出て行きなさい!
私にはまだここでやる事があるの。」
「このうえ一体何をやるというのかね?」

 警部補の問いに、しばらく言葉を飲み込んでいた間宮先生だが、静か
にその目的を語りだした。

「…もちろん、この学園の秘密に関わる馬鹿な連中を一人残らずこの子
の胃袋に収めることよ。」

 そう言って先生は怪物を指さした。

「…そんな事をやらせる訳にはいかんのが私の仕事だ。」
「あら、そうかしら?あなたの上司が、私の言う馬鹿な連中の一人でな
いとも言えないのよ?」
「なんだと…?」

 と、その時それまで動かずにいた化物が、にわかに身体全体を動かし
始めたのだ。何本もの足を使い、冷たいレンガの床を滑るように動きだ
す。それは、黒ずくめの博士の方へとゆっくりと移動を始めたのだ。

 

 


【無料フリーBGM】荘厳なオーケストラ「Solemnity」

 


「私か…!」

 博士は肩口に傷を負っていた…その僅かな血に、怪物が反応したのだ。
ゆっくりだが小山のような巨体を揺らして近ずく化物を、振り返りつつ
博士は暗い教会内を走り逃げる。

「博士!」

 秘書の女性もそれを追いかけながら走りだした。

 

 

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 さながら追いかけっこのように見えるが、後ろから迫るのは見るも恐
ろしい怪物だった。足を止めたが最後、あのラガーマンTシャツの大男
のようになってしまうのだ。

「くそっ!」

 無駄とは知りつつも、警部補は拳銃を発射する。もちろん怪物は止まら
ない。

「むおっ!?」

 小走りで逃げる博士だったが、暗い教会内のレンガに足を引っかけ、
派手に転んでしまった。怪物は急に速度を上げて、うずくまる博士へと
迫ると、そこへ秘書の女性が横から割って入ってきた。

「…今度はこっちへいらっしゃい!」

 自分の指を大きく切って、秘書の女性は博士に迫る怪物へ滴る血を降
りかける。怪物は一瞬だけ動きを止め、今度は秘書の女性へと動きを変
えたのだ。

 走る秘書の女性を追いかけるように、怪物はその後に続いて移動を
始める。博士もすぐに立ちあがるとそれを追いかけて走りだした。

「…早紀君、助かったよ!」

 走り追いつきながら博士は言うと、秘書の女性は嬉しそうに照れる。
だが、二人はすぐに足を止めた。なぜなら、二人は壁際まで追いつめ
られてしまったから…。

「しまった!袋小路か…。」

 振り向くと、背後にはいっぱいに広がって迫る化物の姿があった。
秘書の女性はそっと博士の傍に寄りそう…。

「ほらほら、次はこっちよ!」

 化物の背後から叫ぶ声がすると、またもそいつは動きを止める。
そして向きを変えると、今度は奈々子の方へと怪物は動きだしたのだ。
走る彼女の指からは赤い血が流れている。

「…同じ血に反応するとしても、どうやらより近い方に怪物は反応する
ようだな。なかば反射的に…感情の無い生き物特有の反応だ。」

 奈々子に救われた博士も、その場から離れながら言った。

「…ちょっと!これ、私いつまで逃げてればいいのよ!?」

 逃げまどう奈々子は誰とも構わずに叫び、暗闇を闇雲に走り回る。
探偵の二人は、走る奈々子に追いつき合流するも、また追いかけっこ
を繰り返す。

「…ただ逃げ回ってた訳じゃない。これを見てくれ。」

 一緒に走る博士の手には、ボトルの瓶が握られていた。
そしてそこから何かの液体がぽたぽたと流れ床にこぼれてゆく。その後
を怪物は通過して追ってくる。

「…ガソリンだ。火をつけるからみんな教会の入口へ急いでくれ!」

 私の目の前を、探偵の二人と奈々子は通り過ぎる。その後方からはゆ
っくりと化物が迫ってきていた。

 抜け目のない博士は、持ち込んだガソリンの瓶を逃げ回りながら床に
撒き散らしていたのだ。博士は二本目の瓶が空になると、それを放り投
げて言った。

「おい、火をつけて奴を燃やすから君たちもここから逃げるんだ!」

 博士は私と間宮先生に向けて言うと、ズボンのポケットに手を入れて
何かを探す。


 間宮先生は私の背後で、ただ黙って冷静にそれらを見つめている…。

「ぬあっ…!」

 妙な声を出して、博士はその場で立ち止まり硬直する。

「ズボン穴あいてた…。」

 見ると、私の足元近くに銀色に光るライターが落ちていた…。


「ライター落とした…。」
「…ちょっと!?それじゃ火つけられないじゃん!」

 奈々子が叫んだとき、化物は彼らの十メートル近くまで迫ってきてい
た。


 その時、私の後ろからそれを見つめる間宮先生がナイフを下げた。
そしてこれまでよりもずっと近くで、ほとんど抱きしめるようにすると、
私にだけ聞こえるような小さな声で先生は話した。

「真理のこと頼んだわ…。」

 ほんの一瞬…

 でも、その時の事を私は今でもよく覚えている。
私を抱きしめた間宮先生は、暖かくて、とても良い匂いがした。

「ほら、行きなさい…走るのよ!」

 そう言って間宮先生は、私の背中を強く押したのだ。
振り向かずに私は奈々子たちのところへと走る。


 私を放した間宮先生は、足元に落ちているライターを拾うと、鋭い
ナイフで自分の手首に傷をつけたのだ。

 奈々子たちへと迫る化物が動きを止める。

 今、そいつに一番近いところに立つのは間宮先生だった。
私たちはほんの僅かな間、それを唖然と見つめていたが、最初に動いた
のは警部補であった。

「…急いで扉から外に出るんだ!火が来るぞ!」

 
 一人ずつ扉の外に出て行き、最後に外に出た私は、重い鉄の扉を閉め
る瞬間こちらを見つめながら立つ間宮先生が見えた。

 彼女は最初に会った時と同じく、おどけたような表情で手を動かすと、
小さくバイバイして見せた。その直後、教会内はオレンジ色の激しい炎
に包まれるー。

 
 それが私が見た間宮先生の、最後の姿だった。

 

    

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 約一日ほど燃え続けた火災は、ブルクハルト学園の中央部をほとんど
燃やしつくしてようやく収まったのである。

 同じ建物を使って学園を続けるのは不可能で、焼けた学園は取り壊す
事になった。もちろん同じ敷地内に仮設の建物を設置して、授業は続け
られる事になるそうだ。もっとも、学園を去る生徒たちも多いが…。

 あの教会内から寮へと戻った私たちは、学園に残った生徒や講師とも
ども全員無事に外へと脱出した。少々混乱した須永先生を連れて逃げる
のは大変だったが…。

 理事長の財産と、学園の全てを手に入れようとした彫刻講師、間宮薫。
学園でたて続けに起きた事件事故は、全て彼女が起こしていたという事
だった。

 その彼女も、激しい火災の中で命を落とした。
もちろん、彼女の素情は世間に知られる事もないままに…。


 なにはともあれ、ここで起こった事件の数々は、一応の終結をみたの
である。

 

 

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             エピローグ

 
 黒く焼け跡と化したブルクハルト学園を横目に見ながら、私と奈々子
は晴れ渡る気持ちの良い空を眺めていた。
焼け跡の横では、数人の作業員が仮設の建物を作っている。一週間もあ
れば、授業も出来るそうだ。

 須永先生曰く「ペンと紙があれば芸術はどこでも出来るのよ。場所も
道具も真の芸術には関係がないの。」との事だった。


 ぼんやり空を眺めていると、学園の門から三人の人影がこちらに近ず
いて来るのが見える。お腹の大きい警部補と、二人の探偵である。黒い
ドレスに身を包んだ秘書の女性が、綺麗な花を持ってきてくれた。

 これから私たちは、数人だけのささやかな葬儀をするのだ。
真理に、最後のお別れをするのである…。

 

 

「…焼け跡からこんな物が見つかったよ。あの先生の物だろう。」

 警部補が持ってきたものは、教会から見つかった黒こげの眼鏡であ
った。

 私は警部補からそれを受け取ると、じっと眼鏡を見つめていた。
レンズは抜け落ちていて、フレームも熱により曲がっている…。

「…けっきょくあの先生…何をしようとしてたんだろうね?だってさ、
真理さんを利用して、自分が学園を動かそうとしてたんでしょ?きっ
と、とんでもない事考えてたんじゃないかしら?」

 奈々子が口をとがらせて言った。
私はそれについては語らなかった。そうだとも、そうでなかったとも
言えるからだ。

 その代わりに、黒ずくめの博士がある事について教えてくれた。

「今日ここに来る前に、真理という女性徒を乗せた救急隊員に聞いた
話なんだがね、彼女を乗せて病院に運ばれる途中の車内で、間宮先生
は彼女の傍でずっと涙を流していたそうだ。」

 その話を聞いて、私は少しだけ真理が救われたんじゃないかと思う
事が出来た。その事こそが、私があの教会内に待つ間宮先生に聞きた
かったことなのだから…。

 あの薄暗い教会の中で見た先生の目は、泣き腫らした目だったのだ。

 私には、先生の最後の言葉が思い出される。

    ” 真理のこと頼んだわ… ”


 私は間宮先生との約束を果たさなければならない。

 

 

 

 

 


【無料フリーBGM】優しいオルゴール曲「Music-box_Gentle」

 

 

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 焼けた校舎の東側、中庭の端にある小さなレンガの小屋に真理は
いた。

 三階の倉庫での出来事から丸一日が過ぎていたが、真理は病院から
ここへと帰ってきていた。小さな頃より、一人きりであった真理に
帰る場所はこの学園しかないのだ。

 小屋の中は綺麗にかたずけられていて、真理の入った木製の箱の周
りにはたくさんの色とりどりの花が置かれている。

 

「そろそろ時間よ?今のうちにお別れすませておきなさい…。」

 小屋の中には須永先生が待っていて、やってきた私にそっと声をかけ
てくれた。私は小さく頷くと、真理の眠る木製の棺へと向かう…。

 小屋には小さな窓が一つだけ開いていて、そこから暖かな日差しが
中へと入っていた。

 

 私は棺の中の真理に会った。
彼女はまるで眠っているかのように、前と変わらない顔でそこにいた。
それを見た私は、とうとうたまらずに涙が溢れ、目の前の視界が揺れる。


 真理は本当に眠っているように静かに寝息を立てている。


 

 

 

 

 

 

 

 

 


            ……寝息?

 

 

 

 

 私は涙で溢れる目を手でこすり、もう一度真理の顔をのぞきこんだ。

 


 真理は確かに、小さく呼吸をしながら寝息を立てている…!?
「ね…ねえ、真理さん…生きてるんじゃない…?」

 他の者たちは皆、大慌てで私と真理の傍へとやってくる。
私ももう一度彼女を見つめる。首の横を見る…大きく痛々しい傷がある
筈のところに、白い筋のような跡しか残っていなかった。それはあり得
ない事だった。刃物でつけた傷が再生されているかのようだ…。

「…そうか!間宮先生だよ…彼女が例の万能薬を使って…!」

 博士が驚きと共に言った。


        真理は生きている…!!

 
 私は嬉しさの中、間宮先生が何故あの教会で、私を傷つける事はしな
いと言ったのか、意味が分かった気がした。真理のことを頼むと言った
のも、今なら分かる気がするのだ。

 その方法も出来事も、奇怪で不思議な事ばかりだが、間宮先生は唯一
この世で愛する真理の命を救い、自分がいなくなった後でも真理が悲し
まないように、私を残した……そう思えた。

 なんて不器用な愛情表現なんだろうと思う。
きっと、そうするしかなかった人生を歩んできたんだと思う…。

 

 ありえないような出来事に馬鹿騒ぎする私たちのせいで、とうとう
真理は目を覚ました。

 初め戸惑うような表情を浮かべていた真理だが、私たちの嬉しそう
な顔を見て、段々事態が飲み込めてきたようだった。

「…もう、うるさくて寝てられないじゃないのよ…。」

 小さい声ながら、真理はそう言って笑った。
私はそれを見てもう一度涙を流したが、今度の涙はさっき流したもの
とはまるで違うものだった。


「それで…ここ、何なの?」

 真理の一言に、私たちはぴたりと声を無くして全員動きを止めた…。
この状況を説明するのは…苦しくも大変だが、少し楽しくもあった。

 

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  (了)