ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

マテリアル 17話

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  診療所のべッドで点滴を受けて眠る、黒いドレス姿の女性を見つめ
ながら警部補は時計の針を眺めた。時間は午後二十一時を過ぎたとこ
ろである。

 警部補は傷つき疲れた表情で眠る娘を見て、ひどく悪い予感めいた
ものを感じていた。おそらくこの娘が例の探偵の一人に違いないのだ。
なら、もう一人はどこか?何処に行けばいいかは分かっている…。
だが、今はもどかしい気持ちを押さえ、この娘の回復を待ち話を聞き
出すしかないのである。

 なにより俺は捜査から外されているのだから…。

「…どうだ、娘の容体は?どこが悪い?」
「まあ、外傷は大した怪我もないですな。それよりも、疲労が大きい
ようです。どこかを走りずめだったようで、足をあちこち痛めており
ますね。細かい傷が多い。」


 つい夕方やってきたばかりの診療所で、眼鏡の医師は洗面所で手を
洗いながら警部補に言った。すでに眠っていた所を警部補が娘の治療
にと、叩き起こしてここへ運び込んだのだ。

 警部補は娘の履いていた泥だらけの靴を見て、さらに不安を高めた。
倒れていた森には、小さな穴の入口があった。おそらく娘はそこから
出てきたに違いない。今あの学園で、いったい何が起こっているのか?

「…点滴はあとどれくらいかかる?」
「そうですね…あと三十分というところですな。」


 眠る娘のべッドの横で、警部補は探偵事務所から拝借してきた奇妙な
本のしおりが挟まれたページを開いた。
博士と言われている探偵が調べていたものに関わる書物である。
その重要と思われる部分に線が引かれてあったが、その内容は次のよう
なものであった。


「…ウルボロスの蛇とは「尾を飲み込む蛇」の意がある錬金術的寓意
に満ちた、カバラ哲学における知識の象徴である。
蛇の強い生命力などから「死と再生」「不老不死」などの象徴とされて
きた。その蛇自らの尾を食べることで、始まりも終わりもない完全なも
のとしての象徴的意味が備わるのである。

 また、アダムとイブがエデンの園から追放される原因を作った蛇でも
ある。

 ウルボロスの起源とみられる図の原型は、紀元前1600年頃の古代
エジプトにまでさかのぼる。これがフェ二キアを経て、古代ギリシア
伝わり、哲学者らによってウルボロスの名を与えられた。」


 さらに後のページにも、しおりが挟んであるカ所があった。警部補は
それらをため息を吐きながら読み続ける。


「…錬金術の金属変成に用いられる作業工程は、その時代その時代に
より一定ではないが、もっとも知られている方法は次の通りである。

①、第一原質プリマ・マテリアルの用意。
②、腐敗。黒化とも呼ばれる作業で、第一原質を再構成しやすいように
 分解(腐敗)する作業。(分解と再構成)
③、白い石の作業。ここでは他の鉱物を銀に変成するエリクサを作る。
④、赤い石の作業。これこそが達人の技といわれる、賢者の石を作りだ
 す作業である。

 もちろん、その作業工程の中で、様々な用途に応じた物質・液体など
が生成された…。」


 眠い目をこすりつつ、警部補は理解しがたい内容のページをめくって
いると、べッドの娘がむくりと起き上がった。

 驚いた警部補であったが、目をぱちくりしている娘に向かって素早く
言った。

「…一体あそこで、何が起きてるのかね?」

 

 

 

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 人工的な明かりがほとんどついていない廊下を、私は奈々子と共に
壁ずたいに手をやりながらゆっくりと歩いて倉庫へと向かっていた。
時刻はちょうど二十一時を過ぎたところである。

 いつもこれほどまでに暗い廊下ではないが、多くの生徒も帰り用事
のない場所は電力を切ったのだろうか?あるいは、ボイラーの点検の
ための処置なのか…。

 とにかく暗い廊下を、窓の月明かりだけを頼りに三階の倉庫までや
ってくると、私は今やってきた後ろを振り向いた。
下への階段まで真っすぐな、暗く長い廊下が見える…。

 その時になって、もしここで何者かに出くわしたなら、逃げ場が無い
という事に気がついたのだ。それは隣の奈々子も感じている事だったが
、どのみち学園に留まった時点でどこにいようが危険なことには変わり
がないのである。

「…さ、早いとこ用事済ませて部屋に戻ろう。」

 奈々子が扉を開けると、廊下以上に暗い倉庫内へと入っていった。

 携帯の僅かな明かりで、私たちは手探りで倉庫の奥へと向かう。
ちらちらと動くライトの明かりが、倉庫内の物に当たり反射しては驚く
…。中には人間の彫像が映し出されると、私たちは小さく声をあげた。

 しばらくすると、白く巨大な彫刻の所へやってきた。理事長が若い頃
作り上げた見事な彫刻である。ちょうど倉庫の中央部分であった。

「…ほら、あっちのほうぼんやり明かりが見える。あそこに須永先生の
絵があるはずよ。さっき来た時に窓があるのを見たわ。」

 その薄明かりの見える方向にゆっくりと進む間に、私はここへ来たの
はひどく危険な事だったんじゃないかと思えてきた。
よく分からないけど、この先にある理事長の絵を見てはならないのだ…
そんな気がするのだ。

 これまでも、何度か危険な目に会ってきたが、そのどれもただの脅し
でしかないように思えたからである。本気で私たちをどうにかしようと
考えたならば、いつでも出来たはず…。

 それは、二人の探偵が戻らない事が証明している。

彼らは何かを知ったからこそ、私たちの元に戻らないのだ。あるいは何
かを見たのかもしれない。おそらく秘密を知ったものは許してはおけな
いのだ…。

「…奈々子さん。」

 私は横にいる奈々子に小さくつぶやく。
彼女は不安そうな私の顔を見て、考えていることをすぐに悟った。奈々
子も同じことを考えていたからだ。

 だが、それに反した答えを彼女はささやく。

「…私はこの先に何かの秘密があるんなら…行って見たい。怖いけど、
友達の行方が分からないままなのも、安いお金で危険な事に巻き込んだ
あの探偵の二人にも、ここで逃げたら申し訳ないから…。」

 それだけ言うと奈々子は、倉庫の奥へと歩を進ませる。
もちろん、私もその横をぴたりと歩いて、彼女の手を握りしめる。そう
することで、二人とも少しだけ怖さが和らいだ気がした。


 小さな小窓からぼんやりと月明かりが射しこむ場所で、私は夕方ここ
に置いていった理事長の絵を見つけた。月は時折、動く雲に隠れては現
れを繰り返した。

 私はもう一度、須永先生が書いたという理事長の肖像画を手に取って
みた。見れば見るほど今にも動きだしそうなほど良く書けた絵である。
私は額の後ろにも目をやったが、何の記しも仕掛けもなかった。

「あれ…なんだろ?なんか音がする…。」

 私が額をゆすってみた時、僅かにかさかさという音が聞こえたのだ。
すると、額が外れて中から一枚の写真がぱらりと床に落ちる。

 私はその写真を手に取ると、月明かりに照らして見た。
そこには理事長と、間宮先生。それと、行方不明の奈々子の友達である
女性徒。そしてもう一人写真に写し出された見覚えのある人物が一緒に
写っていたのだ。その二人の肩に手を乗せた理事長が笑みを浮かべて
いた…。

 写真の裏には、手書きの文字で ”My Family ”とだけ書かれている。
おそらく写っている場所から考えて、彫刻作業の教室で写したものと分
かる…つまり、ここに写っているもう一人の人物こそ、謎とされてきた
理事長の養子なのであろう…。

 と、その時、倉庫の暗がりの向こうで扉がバタンと閉まる音が響い
た。
 …誰かがこの倉庫にやって来たのかもしれない。
そう考えた時、月明かりのこの場所にいるのは、その相手にこちらの
場所を教えているような気がして恐ろしくなった。
私たちは素早くこの場所を離れて、闇の中に紛れこむように倉庫の出口
目指して歩き出した。たしかに、この倉庫の中に私たち以外に誰かが入
り込んでいる…。動くかすかな音が聞こえてきて、それはこちらに近ず
いてきているように思えた。

「…入口のドアだわ!」

 奈々子がつい口走ってドアの方へと駆け出す。ドアは半分ほど開いて
いて、外の明かりが僅かに漏れていた。

 私は少しだけ奈々子に遅れてドアに辿り着いたが、奈々子がドアの外
へ出ると突然バタンと閉まってしまった。

 いきなり真っ暗闇となったが、その時ドアのそばに人影を見た私は、
小さな悲鳴を上げるとまたも、倉庫の奥へと逃げ出した。ドアのそば
では、カチャンという鍵をかける音が聞こえて、その人影もまた私の方
へと駆け出してくる。ドアの外で、奈々子が何かを叫びながら扉を叩い
ていた。

 私はけっきょく、さきほどの月明かりの入る窓辺にやってくると、足を
止めた。なぜなら、ここが一番奥で逃げ場はもう無いからである…。

 しばらくして、そのぼんやりと明るい場所に、ゆっくりと足音が近ず
いてきて、暗い闇の中から人影が現れた。その手には、この倉庫にあっ
た装飾を施した豪華なナイフが握られている。

 私は震える声で、その闇の中の人影に言った。


「…写真を見たわ。あなただったのね。」

 

 

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 ほとんど歩くように近ずいてきたその人物のシルエットが、月の明か
りに照らされて黒っぽい服装をしてはいたが、顔を特に隠すこともなく
、いつも見慣れた姿が映し出された。


「真理さん…。」

 真っ青な顔色の真理は、私のすぐ目の前までやってきて、両手でナイ
フを強く握りしめたまま、涙をこぼしていた。

 

(続く…)