ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

マテリアル 10話

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  狭い事務所の中は、異常な数の本でさらに狭くなっていた。
壁ぎわは全て本棚になっていて、見た事も聞いたこともない本で埋め
尽くされている。

 本の山の中に、唯一ソファーと小さなテーブルが一つ置いてある、
というような感じであった。もちろんテーブルにも何かの本と新聞が
山のように積まれている。

「…まだ読んでないんだよ。暇な時に読もうと思ってね。新聞の記事
は貴重な情報源だからね。」

 自分の腰かけ椅子に深々と座って、博士と呼ばれた男はそう言って
笑った。博士と聞いた私は、もう少し高齢の人物を想像したが、その
男の見た目は三十代くらいに見える。髪の毛は少し薄めの坊主頭で、
全身黒ずくめの奇妙な男であった。


 狭い部屋の中には、今どき珍しいカセットテープから静かなピアノ
の音が流れている。

 

 


ゴルドベルグ変奏曲より アリア BWV988 / Goldberg-Variationen Aria

 

「バッハのゴルドベルグ変奏曲だよ。これ聞くと脳が働くんだ。バッハ
は良い。宇宙のリズムだね。」

 緊張の面持ちでソファーに腰かけた私たちの所に、先ほどの秘書
らしき女性がコーヒーを運んできた。彼女はむしろ私たちと歳は近
い感じがしたが、その物腰はひどく大人びた雰囲気を感じる。

 おまけに彼女も博士と同じく、全身黒ずくめのドレスを着こんで
いた。何か漫画から飛び出してきたような人たちだと私は思った。

 秘書の女性は、相変わらず無愛想な顔で私たちにコーヒーを出すと、
博士の前にもコーヒーを置いた。博士のコーヒーカップには、子供の
いたずら書きのような自動車の絵がついている。博士はうれしそうに
それを受け取ると、一口だけゴクリと飲み干す。

「………しょっぱいな。早紀君…もしかしてこれ砂糖じゃなくて塩じゃ
ないのかね…?」

 早紀と呼ばれた秘書の女性は目を見開いてから、慌てて私たちの
コーヒーを下げた。

 

「あの…さっそくなんですけど、この前頼んでおいた事は…」

 奈々子が唐突に切り出して、坊主頭の博士に言った。

「ああ…いくつか調べはつきましたよ。ええとですね…」

 博士は自分の椅子に深ぶかと座り直すと、手前のテーブルの引き出
しを少しだけ開けた。そして真剣な眼差しを私たちに向けながら、話
始める。

「…依頼されたブルクハルト、芸術学園…ですが、いくつか妙な点が
ありまして…えー…えっと、ん?学国…?いや、違う…」

 何故か博士は、ちらちらと手前の引き出しを見ながら椅子にふんぞり
返るようにして話を始めた。


 …この人、紙かなんか読んで話しているのか…?


「…学園のあちこちを調べたところ、あー…ある特徴の紋章あるいは
記号の類が見つかりました…これを見てください。」

 そう言うと、博士と呼ばれる男は数枚の写真と、古めかしい本を
私たちの前に提示した。

 写真には苔がつき、色あせたレンガの所々に不思議な星型の文様と、
奇怪な絵が掘りこまれている。
私たちはその絵に見覚えがあった。例の奇妙な蛇のような図であった。
古い本にも同じような物が描かれている…。

 

「これはドイツに伝わる秘密結社のシンボルで、他にもスイス・イタ
リア・フランスなどヨーロッパの各地にこれらの紋章が見つかって
いまして…ここにある写真は、私が学園の周辺で撮影してきたもので
す。不思議な事に、これらの紋章を使った結社は第二次大戦後、ほと
んどの国々で見かける事は無くなりました。それでー」

 

 


おんな港町 (カラオケ) 八代亜紀

 

 

 と、カセットテープから流れるピアノの音が急に別の音に代わる。
曲は何故か、この場に不釣り合いなほど、陽気で軽快な演歌であった。

 

 「……早紀君、私のテープに歌をかぶせて録音したのかね?」

 そう言って、博士はちらりと横に立つ秘書の顔を見る。
彼女は下を向き、口元に手をやって後ろを向いた。

 

「…と、言う事はやっぱり学園は秘密結社と関わりがあるんでしょう
か?」

 多少興奮気味に、奈々子が聞いた。博士はしばらく間を開けてから
ゆっくりと頷く。

「この学園が理事長の手で作られたのだとするなら、これらの紋章が
刻まれているのは結社が存在する事を証明しています。だが…」


 ここで博士は言葉を切り腕組みをして考え込む。
その時、部屋の中をふっと風が吹きぬけた。博士の目の前の引き出し
から小さなメモ用紙が飛んで、山と積まれた本の中に埋もれた…。

 

「…実は何十年も前の資料を調べたところ、奇妙な事実に当たりまし
た。理事長があの場所に巨大な学園を建てる前、そこには古い教会
があったのです。なんのためか知らんが、その教会の上に学園を建て
た可能性があります。」

 私はその言葉を聞いて、思い当たる事があった。学園の中で迷った
時に、偶然入り込んだ奇妙な場所である。思えばあそこだけ不思議に
違う建物であると感じた気がする…。

 

「あの…もうひとつの件はどうでした?行方不明の良子の…」

 奈々子が眉をひそめて博士に聞いたのは、友達の行方である。
博士と呼ばれる男は、それについても調べを進めていたようである。

「…それがですね、行方不明の彼女の身辺調査をしたところ、驚くべ
き事が解りましたよ。実は理事長には、数十年前に亡くなった一人娘
の他に、二人の養子がいる事が解りました。まあ、これは警察の方で
も調べれば分かる事でしょうけどね。その養子の一人が、行方不明の
良子さんであるらしいのです…。もう一人の養子については、よく
判っていません。おそらく理事長が混乱を招くと悪いので名前を伏せ
ているのだろう。早紀君、ちょっとテープ止めていいかな…?」

 

 奈々子の友達である行方不明の女性徒が理事長の養子…。これは
一体何を意味するのだろう?

「…これは推測なんですがね。理事長には学園と、どこから手にした
か知らないが莫大な財産がある。自身の娘が数十年前に病死したから
、遺産あるいは学園の管理運営はその養子にあるはずです。そのうち
の一人が行方不明になった…それはつまりー」

「…誰かが理事長の財産を狙っている…?」

 私は博士の言葉を遮るように言った。それは恐ろしい事だった。
なぜなら、その推測が正しければ、良子さんはすでに……

「…一刻も早く、もう一人の養子を見つけなければなりません!で
なければ、また犠牲者が出るかも知れない…。そこで相談なんですが
、是非この目で学園の中を見てみたい。今夜君たちに中から手引きを
してもらいたいのだ。」

 坊主頭の博士は言った。

 

 

 

 

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 日も暮れ始めた頃、私と奈々子の二人は博士の事務所を後にして、
帰りの山道を歩いていた。二人で今日聞いた事などを話し合いながら
歩く。辺りは急に薄暗くなりかけていたが、あとは長い石の階段を
降りればバス亭のある場所に着く。

「…良子は数週間前に友達になったばかりなの。専攻は彫刻でね、
毎日粘土だらけだったけど、楽しそうだったわ。正直言って、絵画
専門の私が見ても、あんまり良い出来じゃなかったの。」

 良子の事を話す奈々子は、実に楽しそうだった。奈々子が良子から
聞いていた話では、両親が小さい頃に亡くなっているという事だけで
あった。

「すごく楽しい娘だったの。私、絶体に彼女を見つけてみせる…!」

 奈々子が力強く私に言ったとき、私は背後に人の気配を感じて振り
向いた。と、肩口をおもいっきり押された私は急な階段を踏み外した。

 あっ!と、思った時には私の身体は一瞬、空に浮いたような状態で
時間が止まったような気がした。

「…危ないっ!」

 階段を踏み外したと思った私だが、一瞬早く服の裾を隣の奈々子が
掴んだ。だが、石段に着地した時に私は足首をひねってしまった。
激痛で、その場にうずくまる私は、顔を覆面のようなもので隠した
コート姿の人物が奈々子の後ろに立っているのを見た。
突然の出来事に、私も奈々子も声も出ずにその場に立ちつくす。

 そこに先ほど私たちに危険を知らせた何者かが、凄い勢いで割って
入ると、覆面の人物に鋭い回し蹴りを与えた!

「…!?」

 蹴りは肩口にヒットすると、覆面の人物は声にならない悲鳴を発して
階段を慌てて走り去ろうとする。蹴りを与えた人物は、その覆面を追い
かける事はせずに、足を痛めた私の元にやってきた。

「…大丈夫?博士にあなたたちを送るようにと言われて来たんだけ
ど…」

 姿を見せたのは、暗がりよりも黒いドレスに身を包んだ早紀という
博士の秘書だった。見ると、覆面の人物は慌てながらも階段をかけ降
りて、街の方へと走り去るのが見える…。

 私はバクバクという激しい心臓の音と、足首の激痛に驚きながら、
冷たい石段の上に座りこんだ…。


(続く…)