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灰色のシュプール 8

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  私とロビーで別れたあと、少女は二階の宿泊場所へと向かったそうだ。
二階には数人の泊り客がいて、少女は顔に傷のある男に言われた通りに、
鍵のかかっていない部屋を探して回った。毎度の事ではあるが、こういう
レジャー施設で人は貴重品を保管する事に気を配らなくなるらしい。
数部屋から財布を拝借してきたと、少女は申し訳なさそうに私たちに話し
た。彼女は小さいながらも、その善悪をしっかりと認識している…。

 こんな小さな少女に、泥棒まがいな事をさせていた男に私は腹が立った
が、今は気持を押さえて少女の話に耳を傾ける。


「…それでね、部屋に戻ってカバンの中に入ったの。そしたらあの人が戻
ってきて、帰るぞって言ってカバンを持ち上げて下へ降りたんだよ。」
「…下に降りて、お父さん…いや、あの人はそのあとどうしたの?」

 私は先ほど二階の洗面所で見た姿を思い出しながら、少女に聞いた。
何があったのかは分からないが、このロッジで起きたであろう出来事を知
る唯一の存在である。


 少女はしばらく私の問いに黙っていたが、こちらを見つめながら静かに
話し始めた。

 

 


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「…階段から降りてきてここに来るとすぐ、あの人はこう言ったの……
なんてこった…って。そう言うと私の入ったカバンを床に落として、また
階段をあがっていったの。」
「…あなたは、何か聞いた?」

 思い出しながら震える少女に私は尋ねるが、首を振るだけで彼女は何も
語ろうとしなかった。あのトランクケースの中で少女は何を聞いたのか…

「…わかんない、でも、悲鳴が…悲鳴が聞こえたわ。何人も…男の人に女
の人…とても凄い悲鳴…それがすぐに消えたの。」

「…他に何か聞かなかったかい?物音とか…」

 ぼうずの男が少女の後ろに立って言った。

「…悲鳴が聞こえなくなってから、私が入ってるカバンの上を何かが通り
過ぎたの。重たいものが…カバンがべこべこいう音がしたわ。私、怖くて
そのまま眠っちゃったの…でも怖かったけど、声は出さなかった。」

 それだけ言うと少女は、膝を抱えてその場に座り込み、それきり黙りこ
んでしまった。たしかに、それ以上の事はこの少女も見聞きしていないの
だろう…。

「ねえ、おねいちゃん。あの人は……死んだの?」

 そう言ってこちらに真剣な眼差しを向ける少女を見て、私は本当の事を
伝えなくてはならず、自分の首を縦に振った。

「…悪い事してたから、神様がばちを当てたのかな…?」

 そう言った少女は目に涙をためて、私の方を見つめる。悪い事をしてた
とはいえ、この少女にとっては育ての親みたいなものだ…。
私は少女に向かって自分の両手を広げて言った。

「…ほら、おいで。」

 小さな少女は、私の両手に飛び込むと、声を出して泣いた。

 


「…ふむ、少し吹雪も止んできたな。」

 二十一時を過ぎた頃、ロビーの大きな窓の外を眺めていたぼうずの男が
誰にともなく言った。


 その時、私たちは大きなソファーの所で各々毛布にくるまり少しの間、
仮眠をとっていた。その頃には暖房の無いロビーの中も、かなり冷え込ん
でいたのだが、先ほど事務室から持ってきた毛布一枚でも意外に暖かいも
のだ。

 私の両手の中で泣きながら眠りについた少女を、一緒に毛布でくるみな
がら私も少しだけ眠った。ここに来て緊張しっぱなしだった私も、子供の
暖かな体温を両手に感じると、気分も落ち着くようだった。

 

「なあ、あんたどう思う?さっきのチビの話…」

 コジが窓の傍に立つ、ぼうずの男の傍へとやってきて言った。

「どうとは…?」
「…悲鳴が聞こえたっていうが、ここにいた連中が何かに襲われたのだと
して、どうして暴れた跡も、血の跡の一つも残っていないんだ?しかも、
そんなに大勢の人が僅かな時間に、いっぺんにやられるなんて考えられな
いだろう?」

「まあ…そうだね。たとえば大きな熊が入ってきたとして、あちこち大暴
れした跡やら爪痕やらが残るはずだ。それに、悲鳴はすぐに無くなったと
いうことは…あっという間の出来事だったに違いない。」

「…だから、僕はあのチビが夢を見たんじゃないかと思ってるんだ。ある
いは、あのチビが傷の男を…」
「そんなまさか…。」

 ぼうずの男はそう言って眠る少女の方をちらりと見て思った。

”震えながら話す、あの少女が言った話は嘘じゃないだろう。だが、この
ラガーマンTシャツの男の言う疑問も的を得ている。このロビーにいた大
勢の人たちを、いっぺんにどうにかできるような生き物も存在しないし、
例え武器を持った人間であっても、僅か数秒で沈黙させるなんてことは…
不可能だ。出来たとしても、それなら必ず痕跡が残るはずだ…。大勢の
人間を襲ったあと、床もテーブルも綺麗に雑巾掛けして行ったのなら別だ
が…。”


 しばらくすると、ロビーの長椅子に集まって眠っていた全員が皆、寒そ
うに起きだしてくる。中でも寒がりのミッキーは、二人して一つの毛布に
くるまっている私の所へやってくると、羨ましそうに言った。

「…あんた良いわね、暖房器具抱いて寝てるんだもん。」
 
 それにしても、このロビー内の気温の低さは深刻だった。
今晩ここで一夜を明かすとしても、なんとか暖房の一つもなくては体力が
持たない。ましてや、救助隊のようなものがここへ駆けつけたとしても、
それがいつになるかも分からないのだ。暖房は必要である。

「ストーブをつけましょう。幸い吹雪も少し止んできたし、ゲレンデの横
にある小屋まで取りに行けると思うの。誰か一緒に来てくれない?」
「じゃ、私が行こう。」

 吉井さんの申し出に、ぼうずの男が返事をした。
あまり大勢で行ってもしかたないし、私は今この子の傍を離れる訳にもい
かなかった。

「それじゃ、十分ほどで戻るわね。」

 防寒服を着こみながら、吉井さんが言った。
ストーブと灯油のある小屋は、ロッジから百メートルくらい離れた所にあ
る。雪もかなり積もっているので大変だろう。

「気をつけて下さいね。」

 二人は足早にロビーの出口に向かい、そして雪のゲレンデへと消えてい
った。それを見送ると残った私たちはまた、それぞれの毛布をかぶった。

 

 

 

 膝下辺りまで雪に埋まりながら、吉井さんとぼうずの男はゲレンデを横
ぎり、止みつつある吹雪の先にある小屋へと急ぐ。
ゲレンデは照明も切れていて真っ暗闇に包まれていたが、山の斜面にある
小屋はうっすらと見えている。

「…長靴でも履いてくるんだった。」

 ぼうずの男は小さくつぶやきながら、雪の中をずぼずぼと進んだ。

 小屋の入口を開けると中は真っ暗だったが、ぼうずの男はペンライトで
中を照らす。小屋の内部はがらんとしていて、何もなかったが、隅に灯油
の缶が数個と、古めかしい小さなストーブが一台置いてあった。

「…小さいストーブだけど、無いよりは全然ましよ。あなたは灯油の缶を
運んでちょうだい?」
「むっ…けっこう重いな…。」

 二人が小屋を出ると、外は吹雪も止んで空の一部だけ雲が流れ去って、
綺麗な星空が見えていた。だが、見えていたのはそれだけではない、
ゲレンデよりもさらに下、数百メートルほど下った岩山の付近が、大きな
月の光に照らされてチカチカと点滅している。

「…あれは何だろ?ほら、あそこ。」
「あら、なにかしら。でも、あそこって…たしか雪崩が起きた辺りじゃな
いかな?」

 ゲレンデで立ち止まりながらぼうずの男はぼんやり眺めていると、その
チカチカと点滅している光が、しだいにリズムのある淡い光へと変わって
くる。岩山の一角だけが、薄いオレンジ色に輝いていた。

「…あの光、なにかの信号みたいな感じだな。」

 と、その光に見とれていた吉井さんは急に思い出したようにロッジを見
つめて言った。

「…とりあえずこれをロビーに運ぶのが先ね。」

 二人は小さいながらも、重さのあるストーブと灯油を手に持ちながら、
雪のゲレンデをロッジに向かい歩いた。

 


 吉井さんとぼうずの男が外に出ている間、私は早紀という名前の少女を
ずっと両手に抱きしめながら毛布にくるまっていた。
少女は穏やかな寝息をたて、今は安心したように眠っている。
コジと健吾は、私たちとテーブルを挟んだ向かい側のソファーに毛布にく
るまり座っていた。コジは半分眠った状態で、頭を時々上下に揺らしてい
る。

「そんなしてるとさ、あんたママみたいに見えるよ。」

 私の隣に毛布をかぶって座るミッキーが冷やかしながら笑う。

「ちょっと…せめてお姉ちゃんくらいにしてよ。私まだ二十一なんだから
ね?」

 暗く静かなロビーの隅で、私とミッキーは囁くような小さな声でしばら
くの間、雑談をしていた。こんな時、慌てたってしかたないからだ。

「ね、香菜さ、大学卒業したらどうすんの?」
「私…?特に何をやりたいってないけど…そうね、何かの秘書にでもなり
たいわ。」

「秘書?あんたが?なんで秘書…?」
「だって…なんか秘書ってしゃべらなくても良い仕事ってイメージがある
じゃない?かっこいいし…。じゃ、ミッキーは?」
「私はね、モデルでもやろうかな?へへっ。」

 ミッキーはそう言ってケラケラと笑った。

「…お、おいっ…!」
 
 急に向かい側のソファーに座る、いつも無口な健吾がうわずったような
声を出して言った。その目は真っすぐに私たちの後ろへと注がれている。
私は健吾の目線の先へと、自分の後ろのロビーを振り返った。
その私を見て、ミッキーも後ろを振り返る。

「ちょっ……そんなまさか…。」

 

 暗いロビーの通路、先ほど私たちが調べたトイレの方向から、ゆっくり
と音もなく一人の女性が歩いてきた。不自然なほど静かに、そして何故か
その全身が淡い灰色がかって見えている。髪も、肌も、服も…何もかもが
灰色に染まって見えていたのだ。

 それは私たちにはまるで関心もなく、ロビーの中央まで来ると方向を変
え、二階への階段へと向かって歩いていった。
私たちは誰ひとり声も出せず、ただその女性が歩み去るのを黙って見てい
ただけだった。

 それもそのはず、二階へと階段を上がっていったのは、私たちのよく知
る仲間の一人、亜衣子だったからだ…。

 

 

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     (続く・・・)