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灰色のシュプール 9

 

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 二階へと続く階段を上がって行った亜衣子は、ロビーで茫然と見つめる
私たちからはもう見えなくなっていたが、誰一人その場を動けなかった。
まるで、蛇に睨まれた蛙のように。

「…おい、あれ亜衣子だよな…?」

 コジの言葉にわれに返った私は、ロビーの中を見回した。見ると、ロビ
ーに戻ってきていた吉井さんとぼうずの男もいて、私たちが見たものと同
じものを見たのか、その場に立ち止まっている。

「ねえ、今の人お友達なの…?」
「ええ、そうです。亜衣子って言うんだけど…」

 …あれはたしかに亜衣子だった。それは間違いない。だけど…。

 私が言いかけた時、健吾が無言で椅子から立ち上がり、二階への階段へ
向かって歩きだした。肘をかばいながら、ふらふらと亜衣子が立ち去った
階段へと向かって歩いて行く。

「ちょっと…待って。」

 私も椅子から立ち上がり、健吾の後を追いかけようとした。
だが、その私の腕を早紀という少女が力強く掴み、必死な形相で私を引き
止めたのだ。

「どうしたの?」

 私の言葉に少女は答える事もなく、ただ私の手を掴んでその場に立ち止
まらせる。少女は震えながら階段の上の方を見つめていた。
この小さな少女は、通りすぎた亜衣子から何を感じ取ったのだろうか?

 健吾はロビーを通り階段へとたどり着くと、上に向かって歩きだす。
まるで何かに憑かれた様に階段をゆっくりと上がっていく…。

「おおい、健吾!ちょっと待てよ!」

 遅れてコジが健吾の後を追って二階への階段に向かって走りだした。
その後をミッキーも続く。

 ロビーに取り残された私と少女のところへ、吉井さんとぼうずの男が戻
ってきた。二人は長椅子の横に小さなストーブと灯油を置いて、階段の方
を気にしながら見つめる。

「今の…見ました?」
「え、ええ。見ました…私たちも行きますか?」

 吉井さんは私に答えて言った。ミッキーたちはすでに階段の上に姿を消
していたが、追いかければすぐに追いつくだろう。

「ちょいと待ってくれ。なんかおかしいんだ…今の君たちの友達、亜衣子
さんって言ったかな?どう考えてもおかしい…。」

 ぼうずの男が階段へと向かう私たちに言った。
亜衣子が通り過ぎた時、ロビーの一番近い所にいたのは、このぼうずの男
である。私はまた立ち止まり、彼の話を聞いた。

「…君たちも見たとは思うが、彼女は灰色がかって見えたんだが…」
「…ええ、なんかぼんやりした感じの灰色に見えたわ。」

「おかしいじゃないか?全身が灰色なんて…肌も髪も、おまけに運動靴ま
でもが灰色だった。」
「泥でもかぶったんじゃないかしら…?」

 吉井さんがそう言うと、私も昔何かの番組で田んぼを泥まみれになって
遊ぶ子供が、全身灰色になっているのを思い出した。
けど、今は泥をかぶるような場所でも状況でもない…。

「もっとおかしいのは…目の中まで灰色だった。目の中が泥だらけで、楽々
歩けるなら普通であるとは思えないな。」

 私はぼうず頭の言葉を聞いて、急に恐ろしさが込み上げてきて、階段の
上を見上げた。

 


 しばらくすると、ロビーで待つ私たちのところにミッキーたちが戻って
きた。何やら大騒ぎしながら階段を降りてくる。その中に亜衣子の姿は
なかった。

「ミッキー、亜衣子は?」
「いないのよ!二階全部捜したけど…どこにもいないの!隠れられる場所
なんてないのに…!」
「…それより、ちょっと二階まで来てくれ!なんかおかしな事が起きてる
んだ!」

 コジがまくしたて、また二階への階段を登っていく。健吾はふらふらと
長椅子へと戻っていき、力なく座った。

「…行ってみよう。」

 ぼうずの男がそう言うと、今度は全員で二階へと上がっていく。
手を掴んで離さなかった少女も、今度は私の後を恐る恐るついてくる。

 階段を登り切り、暗い廊下をどんどんとコジは進む。
その廊下の先には、先ほど私たちが見た恐ろしいものがあるはずだった。
だが…

「見てくれ!さっきまであった、あの男の死体が無くなってるんだ。」

 たしかに廊下の一番奥、洗面所の隅に座るように倒れていた顔に傷のあ
る男の死体はきれいさっぱりと、その場から消えていた。
まるで、生き返り自分の足で歩み去ったかのように…。

「そんな…でもどうして…?」

 私のそばで、ぼうずの男がしゃがみこむと洗面所の床をしげしげと眺め
ながら言った。

「ほら、ここにあった血痕も無くなってる。誰かがあの男ともども、床の
血痕まで綺麗にかたずけていったようだ。」

「誰かって…二階に上がったのって…亜衣子しかいないじゃん?」
「無理よ!あんな僅かな間に亜衣子に男の死体を運び去る時間なんて無か
ったわ。」

 私がミッキーに答えて言った。先ほどのロビーでの一見を思い出して考
える。亜衣子が二階に上がっていき、健吾やコジがその後を追いかけたの
は、僅か三十秒くらいのことだ。

 どう考えても、女の亜衣子にあの大きな男の死体を運び出すことなど不
可能だった。おまけに亜衣子自身もこの場から消えているのだから…。

「…とりあえず、ロビーに戻ろう。今夜は何が起きるか分からない。」

 暗い廊下できょろきょろと辺りを見回しながらぼうずの男が言うと、
私たちは急いで薄暗い二階からロビーへと引き返した。

 

 

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 ロビーへと戻ると、大きな窓ガラスの傍にある長椅子の辺りに、吉井さ
んが小さなストーブを出していた。暗いロビーの中にあって、赤々と燃え
る小さな火ではあるが、ロビー内に暖かなオレンジ色の灯りを生み出して
いた。

「小さいけど、傍に寄ればけっこう暖かいのよ?」

 そう言って吉井さんは笑ったが、すぐに不安げな表情を覗かせて、少し
収まりつつある吹雪の外を見つめた。

 私は椅子に座りながら、ぼんやりと階段の辺りを見つめる健吾の傍に座
ると、小さく声をかけた。

「大丈夫…?」
「…まあね。くそっ…!何でこんな事になっちまったんだ。」

 そう言って床を自分の足で蹴りつけると、小さく呻いて健吾は自分の肘
を押さえた。腕の状態はかなり良くないようである。

 ずいぶん前に私はミッキーから聞かされたことがある。健吾は亜衣子が
好きだったという事を。ここに来るという事になった時も、私やミッキー
とそれほど仲の良くない亜衣子だったが、健吾がいるから来ていたのであ
る。やっと姿を見たと思ったのに、また不可思議にも消えてしまったの
だ。

 私は健吾が可愛そうに思えて視線をロビーの方へと戻すと、ぼうずの男
が、小さな少女と一緒に自動販売機で飲み物を買っているところであった。
少女は何か嬉しそうに小走りで私の方へと駆けてくる。

「お姉ちゃん!ほら、あのお兄ちゃんがこれ買ってくれたよ。」
「そうなの?良かったわね。」

 ぼうずの男もこちらにやって来るとストーブの周りに集まっていた私た
ちに言った。

「一つ聞きたいんだけど…誰かこの下の岩山の辺りが光ってるのを見た者
はいるかな?」
「…私見たわ。たしかゲレンデの電気が消える少し前だったと思う。太陽
の光に反射して、きらきら光ってたわ。あれ何なの?」

 私がぼうずの男にそう言うと、一緒にそれを見たミッキーも興味深そう
にこちらへとやって来る。

「わからん、でも、ちょうど雪崩が起きた辺りで光ってる。何か、ここで
起こってる出来事に関係があるかもしれない。吹雪が収まってる間に見て
こようと思うんだが…なるべく少ない人数で…。」
「…私行くわ。昼間からずっと気になってたの。」

 片手をあげながら私は言った。
夕方あの奇妙な点滅する光を見てから、妙に気になっていたのだ。何か、
あの光に誘われるような…奇妙な高揚感があった。

「香菜、気をつけてね。」
「うん、すぐ戻るわ。そっちも気をつけてね?」

 私はミッキーにそう言うと、ウェアを着込み支度を始めた。
その後ろに、小さな少女が不安げな眼差しでこちらを見つめていたが、私
は少女の頭を撫でて言った。

「戻ってきたら、トランプでもしましょ?」
「…トランプ?なにそれ…。」

 不思議そうな顔をして私を見る少女が、トランプを知らずに生きてきた
事に私はショックを受けたが、この少女に教えてあげる事を思うと少し楽
しい気分になった。

「後で教えてあげるわ。カードで遊ぶゲームなの、楽しいよ。」
「うん!待ってる!」

 にこにこと嬉しそうな顔をする少女のところへ、ぼうずの男もやって来
ると、彼は防寒着のポケットからスナック菓子を取り出し少女に手渡して
言った。

「…昆虫ライダーチップスだ。おまけにカードも付いてるんだよ?」

 少女はチップスの袋の後ろについているおまけのカードが入った包みを
破いた。出てきたカードには、不気味な昆虫の顔がついた怪人がファイテ
ィングポーズをとって写っている。

「…ツメダニ怪人だね。まあ、可愛らしいものではないが…チップスはお
いしいから食べてくれ。」
「…うん、ありがとう!」

 ロビーの出口まで来ると、私は後ろを振り向いた。
ミッキーたちも私たちを見送りにやってきていたが、皆いちように不安な
表情を浮かべている。

「ここから二百メートルほど道を下れば、雪崩の起きた場所よ。雪が積も
ってるけど、道なりに行けば問題なくたどり着けるはず。」
「わかりました。行ってきます。」

 私は吉井さんにそう言うと、ロビーの外に出て積もる雪の中へと歩きだ
して行った。

 下へ向かって道なりに歩いて行くと、あっという間に暗い山の中にロッ
ジの僅かな明かりも消えてしまった。

 だが、逆に下へと向かうほどに、崖の辺りから放たれる淡い光が徐々に
大きくなって、まるで私たちを誘うような気配を漂わせていた。


(続く…)