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灰色のシュプール 6

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  ロビーを抜けて、一階の奥にある男性用化粧室と書かれたトイレの前に
集まった私たち全員だったが、入口で僅かの間沈黙していた。

 というのも、女性陣は男性用のトイレに入るということ自体抵抗がある
訳だが、今は非常事態なのでそうも言っていられない。

「あー…それじゃとりあえず、あんたからどうぞ。」
「…じゃ、中を調べようか。」

 ミッキーの言葉に、渋々ながらぼうずの男が前に出て、ライトを照らし
ながら暗いトイレに入っていく。私たちもその後を慌ててついて行った。


 男性用トイレの中はロッジのどこよりも寒かったが、特に何がおかしい
というものもなかった。

「…さっきは個室に入って、こっそりこの新聞を切り抜いていたんだよ。」

 と、言いながらぼうずの男は、先ほどの四つ折りのすけべ記事を出す…。

「何か物音とかしなかったの?」
「いんや、別に怪しい物音は聞こえなかったね。」

 だが、トイレの奥のゲレンデへのドアが開いていて、外から激しい吹雪
が中に吹き込んできているのが見えた。

「見て、外へのドアが開いてるわ。どうりで寒い訳ね。」

 近くに行くと、風のせいなのかドアは壊れており、きいきいと音が鳴っ
ている。誰かがここを通り抜けたのだろうか?

 ドアの傍に行って外を見ると、すでに雪が数十センチほど積もり、足跡
などもすっかり隠れてしまっていた。そこから正面のゲレンデの先には、
小さな小屋のような建物が吹雪の隙間から見える。

「あの小屋にはたしか小さな石油ストーブがあったはずよ!吹雪が少しで
も収まれば行けるんだけど…。」

 吹雪の音が激しさを増していて、吉井さんの声も聞こえずらいほどだっ
たが、ストーブがつけられるかも知れないと分かり、私たちは一度ロビー
に戻る事にした。

 男性用化粧室を出ると、廊下を挟んで向かい側にはレストランの厨房が
あり、その奥には下への階段があった。今のところ私たちはこの階段の下
へは行っていない。

「あの…吉井さん、階段の下は何があるんですか?」
「この下にはシャワー室と倉庫があるだけよ。いざとなれば倉庫の中に、
食べ物があるから後で取りに行きましょう。」


 私たちは広いロビーへと戻ってくると、まっ先に目についたのが床に置
かれたままの大きなトランクケースであった。
つい先ほど、このトランクの持ち主を洗面所で見つけたばかりなのを思い
出す…。

「ねえ…香菜。あれってさ、さっきの男の人が持ってた物なんでしょ?」
「ええ、そうよ。」

 雪山には不釣り合いなほど大きな旅行用のトランク。
いったいこんなスキー場に、これほど大きな荷物を持ってきたのは何故な
のか…ひどく気にはなっていたのだ。

「ちょっと中を調べたほうが良くない…?」
「よし、開けてみよう…。」

 ミッキーの言葉にコジが賛成すると、彼は大きなトランクを力まかせに
持ち上げると、テーブルの上にあげる。

 私たちは全員でテーブルの周りを取り囲み、そのトランクを見つめて沈
黙した。奇怪な死体で見つかった男が持ち込んだ、奇妙なトランク…。
中に何が入っているのか…誰もが不安と緊張の表情でその場に固まってい
たのだ。

「………誰が開けんの?」
「おい、おっさん開けてみろよ。」
「…この私が?」

 ぼうずの男は渋い顔をしたが、全員に見つめられて渋々トランクに手を
かける。

「……じゃ、開けるけど…もし爆弾かなにかだったら……ドカーン!て来
るぞ?」

 そのぼうず男の言葉に、私たちは皆そのテーブルをパッと離れる。
もし本当に爆弾か何かであれば、トランクを開けた瞬間に爆発することも
あるのだ。

「…そっと開けんのよ?そーっと…。」

 彼は片目をつむり、ゆっくりとトランクのロックをパチンと開け、トラ
ンクを少しだけ開けて横から中を覗き込んだ。彼は、数秒ほどその態勢で
動かずにいた。

 そしてゆっくりとまたトランクを閉めてしまった…。

「ちょ…何してんのよ?開けなさいよ…!」
「いや、これはヤバイって…!ほんとに…」

 ぼうずの男は首を横に振りながら言った。
開けられないほどの何が、トランクの中に入っているというのか?

「…私が開けるわ。」
「きゃーー!?」

 そう言うなり、私はなんの躊躇もなくトランクの蓋を勢いよく開けた。
たしかに、ぼうずの男が言うほどのものが中には入っていた。

「ちょっ…と…!?」

 大きなトランクケースの中には、見覚えのある小さな女の子がいて、膝
を抱えるように丸まっていたのだ…。

 

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 その少女は、五・六十センチほどのトランクケースにぴったりと収まり
眠っていた。規則正しい寝息を立てていて、何か異常があるようには見え
ない。

「眠ってるの?どういうんだろ…この子。」

 私とミッキーはテーブルの傍に寄り、トランクの中で丸まって眠る少女
の様子を観察した。

 赤いワンピースに赤い靴を履いていたが、靴下などは履いていなく素足
である。静かに寝息を立てるその顔は、泣きはらしたような跡があった。

 トランクの中には別の物も入っていて、私たちは目を奪われた。

「…見て、財布がこんなにたくさん…。」

 少女の眠るトランクの中には、様々な財布が五つほど入っていて、他に
も金属製の時計、ネックレスなども入っている。

「これって…もしかすると盗んだ物かしら?この財布見た事あるわ…事務
の娘が持ってた物よ。」

 吉井さんが傍へとやってきて言った。
それならば、ミッキーの財布が死んだ男の傍に落ちていたのも頷ける。
おそらく顔に傷のある男がミッキーの部屋から盗んだ物であろう。

「…泥棒親子って事?」
「どうかしら?もしそうなら…あの男の人の事、この子に何て説明したら
いいのかな…。」

 あの二階の洗面所に倒れて死んでいる男が父親だとすれば……この子は
どんなに悲しむだろう?

 私ですら、どうしようもないほどの酒飲みだった父が死んだ後は一人涙
を流したものだ。それがこんな小さな少女に耐えられるのだろうか?

 

「とりあえず、かなり冷え込んできてる。何かかけてあげた方がいい。」

 ぼうずの男がトランクに近ずいてきて言った。たしかにここも暖房が切
れてから徐々に冷え込んできている。

「それなら事務室に毛布がいくつかあるわ。持ってくるわね。」

 吉井さんについてコジも事務室へと毛布を取りに行った。
私はその間、眠る小さな少女の横顔を不安な面持ちで見つめていた。

 

「…そういえば私たちって、お昼食べてなかったんだよね?」

 長椅子に深く腰掛けているミッキーが、思い出したように言った。
たしかに、ここに来てすぐゲレンデに向かった私たちは、朝から食事らし
い食事をとっていなかった。

「ホットドッグなら…作れるわよ。」
「え?ほんとですか?」

 吉井さんの言葉を聞いて、長椅子からミッキーが飛び起きた。
彼女はどこに行っても、とにかくよく食べる。見た目のスタイルの良さか
らは想像がつかないくらい食欲旺盛な娘である。

「ええ、材料を取りに下に降りないといけないけど…。誰か一緒について
きてくれる?」

 私とぼうずの男が、吉井さんと共に下の階にある倉庫へ向かった。
このロッジは山の斜面に建てられているので、実質倉庫のある下の階は一
階部分という事になる。ゲレンデに直接出られるロビーは、実のところは
二階部分なのである。

 暗い階段を降りると、すぐのところに倉庫の入口があり、狭い通路の先
にはシャワー室があった。不思議な事に、この階の方が上のロビーよりも
比較的暖かい気がした。

「たぶん、シャワー室があるせいじゃないかしら?あ、この奥よ。」

 

 倉庫は非常に狭く、人が隠れられるスペースも無い。
私たちはホットドッグの入った箱を一つ取り出して、暗い倉庫を出る。
階段へと向かう時、私は背後の暗く狭い通路を振り返った。妙に暖かい通
路の先のシャワー室のドアが少しだけ開いていて、僅かにきいきいと音を
立てていた。どおりで暖かいはずだ。

「…行くわよ。どうしたの?」
 上にいる吉井さんに声をかけられ、私は慌てて階段を上がって行った。


 ロビーに戻り、さっそく吉井さんは売店の鍵を開けてホットドッグを
焼く準備を始めた。

「これは電気がつかなくても調理できるから。ソーセージもガスコンロが
あれば焼けるしね。少しでも暖かい方がいいでしょ?」

 私とミッキーは彼女の手際良い調理を見ながら、出来あがるのを待った。
けして広くはないロビーの中に、様々な良い匂いが流れてくる。
ソーセージやパンが焼ける香ばしい匂い、ケチャップやマスタードの刺激
的な匂いが。

 数時間ずっと緊張しっぱなしの私たちには、少しばかり心が落ち着くよ
うな気がした。おいしいものには、そう感じさせる効果があるようだ。

「…はい、どうぞ。持っていって食べましょう。」
「いいんですか?こんなに…」

 私とミッキーは、人数分以上に暖められたホットドッグを吉井さんから
受け取ると、彼女に聞き返した。

「…いつもはけっこう値段がするのよ?」

 笑いながら私たちはロビーの大きなガラス窓の傍にある長椅子へと歩き
出した。最後までホットドッグ売り場に残っていたぼうずの男も、ソース
と食塩の入った小瓶を手に私たちの後についてくる。

 視線をトレイのホットドッグから正面のロビーへと移した時、テーブル
の上に置かれた大きなトランクから、少女が顔を出してこちらを見ている
のが見えた。近くのコジと健吾は、まだその事に気ずかずにいる。

「あ…あの子起きてるわ!」

 一瞬、私より早くミッキーが声をあげた。
コジがそれに気ずいた時、少女は立ち上がりその場から駆けだそうとした。

「コジ、捕まえてっ!」

 少女の前に大きく立ちふさがるコジは、両手で捕まえようと飛びかかっ
たが、少女は素早く避けながらコジのすねにキックを入れた。

「いてッ!?」

 アメフトマンのような体格のコジだったが、すねを押さえてその場に
うずくまってしまう。

「何やってんのよ!外に逃げちゃうよ。」

 ミッキーが文句を言いながら、逃げる少女を追いかける。
もちろん、私もそれに続いて小さな女の子を走り追いかけるが、少女の
すばしっこさは並みじゃなかった。

 素早くロビーを駆け抜け外への出口に向かう少女に、ちょうどその先
に両手に調味料を持ったぼうずの男が歩いてきて、やってきた少女に驚い
て立ち止まる。

「…捕まえて!」

 彼は調味料を床に投げ捨てると、ジグザグに走りぬけようとする少女を
長い防寒着をマントのように使って、小さな少女をクルリと包み込んで
その場に完全に抑え込んでしまった。

 それ以上、少女は逃げようとせず暴れるのをやめておとなしくなった。

「…女の子は力まかせでは捕まえられないのさ。ま、かけっこでも負ける
とは思えないがね。」

 ぼうずの男はそう言い放つと、得意げに二ヤリと笑った。

 

(続く…)