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灰色のシュプール 3

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  目の前の景色が霞むほどの吹雪の中を、私たちはなんとかロッジの
入口へとやってくると、雪だるまのような全身についた雪を払い落す。

 私はロッジの裏手にある駐車場をチラリと見ると、数台の自動車が
降り積もった雪をかぶり、すっかり埋もれていた。
日暮れまでまだ時間はあるはずであったが、先ほどロッジ全体の明か
りが消えたせいか、外から見たロビーの入口は真っ暗であった。


「…ちょっと、どうしたっていうのよ!?」

 一番先に入口の大きなガラス張りのドアに手をかけながらミッキー
は怒鳴って言った。

「待って…ミッキー!」

 私は中に入ろうとする彼女に慌てて言った。
ミッキーはドアに手をかけながら、驚いて私の方を振り向く。

「どうしたの…?」

 私は彼女の言葉に答えずに、目の前のロッジを見上げた。
ついほんの今しがたまで、賑やかな音楽が流れ明るい照明に照らされ
ていたスキー場全体が、暗くなんの音もなくひっそりとした雰囲気に
変わっている。

 聞こえてくるのは吹雪の音だけ…。

ガラス張りのドアの中は薄暗く、様子を窺い知る事は出来なかった。

 ずっと昔、こんな場面に遭遇した事がある。
私は自宅の玄関先で、暗い家の入口を見つめて足を止めて立ちつくし
ていた。中には飼っていた犬が倒れていて、すでに冷たくなっていた
のを憶えている。

 あの時の、なんとも言えぬ悪寒のような…そんな感覚を今この場で
私は感じていたのだ。

 

「とにかく、健吾の怪我の治療をしてもらわなきゃ!行こう。」

 そう言ってミッキーはドアを開けて、暗いロッジの中へと入ってい
った。それに続いてコジと呻きながらも健吾が後に続く。
私はほんの一瞬呆けたようにその場にいたが、すぐに彼らの後を追っ
て中へと入っていった。

 


 ロッジの通路を抜けると、ゲレンデが見える大きなガラス張りの窓
があるロビーは、ほとんど真っ暗であった。ガラス張りの向こうは、
凄まじい吹雪で何も見えず灰色の世界が広がっている。

 先ほど私が感じたような悪い気配も、犬が倒れている…などという
ことも無かった。ただ…

「…ねえ、中にいた人たち…どこいったの?」

 ひっそりと静まり返ったロビー内で、囁くようにミッキーが言う。
私が数時間前、ここにいた時には数人のスキー客や、販売員などがい
て仕事をしていた。

 それに、レストランで食事をしていたぼうず頭の男…それから髪を
縛った女の子に大きなトランクケースを持った男…少なくとも数十人
がこの双子岳ロッジにいたはず…。

 私たちがゲレンデに滑りに行く前、ここはとても明るい日差しが入
り込み、ポップな曲が流れていた。レストランの厨房から流れてくる
良い匂いや、ホットドックの焼ける匂いなどもあり、娯楽コーナーに
はメダルのスロット機械がきらびやかな電気とともに動いていた。
だが、今はそれらは全て機能を止め、広いロビー内は静寂に包まれて
いる…。

 見回したロビー内には、パ二ックや混乱の後もなく、何か事が起き
たという状況ではなかった。

 ただコーヒーカップが一つ、床に転がっていた。こぼれたコーヒー
が床に小さな水たまりを作っている。

 そしてロビーの中央付近に、例の顔に傷のある男が持っていた大き
なトランクケースが、置き忘れたように床の上にあった。
かなり大事そうに持っていたトランクケースである…。中には一体、
何が入っているのか?

 とりあえず私たちはロビーの外れにある医務室へと向かった。
医務室には緊急のために応急処置を施してくれるスタッフがいるはず
であったが、部屋には誰もいなかった。


「…嵐が来るっていうんで、みんなここを去ったとかじゃないのか?
電気も消して…。」

 肘を痛めた健吾をロビーの椅子に座らせて、コジが言った。
リフトから数メートルも下に落ちたのに、この大男は怪我ひとつなか
った。体格でこの男に勝る者はそうはいないだろう。

 それに引き換え、健吾の具合はかなり悪そうだった。すぐに治療
する必要がありそうだ。

「でも、電気を消したというよりは…切られたって感じだったけど?
火花が散ってたもん。」

 ミッキーは不安そうに私の傍へとやってくる。
たしかに私も、電線がバチバチと火花を散らすのを見ていた。

「…それに外に自動車があるのを見たわ。ここを去ったとは思えない
わ…。」

 先ほどロッジの外で見た事を私も言った。
この吹雪だからこそ、歩いて山を降りるとは到底思えないからだ。

「じゃ、みんなどこに行ったっていうんだよ?」

 私たちは暗いロビーの椅子に座って、この状況を整理しようと考え
ていたが、もちろん皆目見当もつかない状況に皆いちようにイラつき
始める。

 健吾は痛みのせいか、かなり汗をかいていて「畜生!」などと愚痴
をもらしていた。

 辺りを見回すと、さっきまで開いていたホットドック屋も店じまい
しており、売店人の女性もいなくなっている。夕方なので今日の営業
は終わってしまったのだろうか?

 ふと、目を下の床に向けた時、椅子の下に何か光る物を見つけた。
私はその場から立ち上がり、その椅子へと足を向ける。

 落ちていたのは、先ほど出会った少女が手にしていた綺麗な模様の
スーパーボールである。

「どうしたの?何それ…」
「…さっきここで会った女の子にあげたボールなの…」
「女の子なんていたっけ?バスにも乗ってなかったよね?」

 ミッキーの言葉には私は答えずに、そのボールを手にした。

 

”あんなに嬉しそうに持っていたのに…どうしてこんなとこに落ちて
いるのか…”

 私はそのボールを見つめながら、ひどく嫌な感じがしてきた。
非常に小さいながらも、倒れたカップや落ちていたスーパーボール…
そして顔に傷のある男が大事そうに持っていた大きなトランクケース
…何か痕跡のようなものに私には思えたのだ。
ここでたった今起きた、何かが……。

 そのボールを、私は自分のウェアのポケットに大事にしまい込む。
その時、奥の通路の暗がりから人が歩いてくる小さな音が聞こえた。
私はその場に固まりながら、立ちつくしてしまう…。

 

「おや?どうしたんです?電気が…」

 と、ロビーに一人の男が現れた。
それは先ほどここで食事をしていたぼうず頭の男で、電気が消えた暗
いロッジの様子に驚いている。

「お…おい、おっさん!あんた何してんだ…!?」
「何って…トイレにいたんだが…えらく寒いトイレで……いや、それ
より、停電かね?電気が…」

 コジの問いにも困惑した様子で答える男ではあったが、私はこのロ
ッジに他にも人がいたことで少し、ほっとした気分になったのだ。
話を聞くと、ぼうずの男はほんのつい先ほどまでこのロビーにいたの
だそうだが、それまではスキー客もちらほらといたそうである。

「じゃあ、ほんの数分の間に電気が消えて、誰もいなくなったってい
う訳?」
「そういうことになるかな?」

 ミッキーの問いにぼうずの男が答えて言った。

「というか、おっさん泊り客なのか?」
「いや…この後の最終のバスで帰るところなんだが…。」

 そう答えたぼうずの男は、およそスキー場にやってくる服装ではな
く、薄手の黒いフードつきの防寒着だけを着込んでいた。履いている
靴も、普通の運動靴のようなものである。

「ここのレストランの、越後もち豚カツカレーがおいしくてね。この
時期は毎シーズン食べにくるんだよ。この後の最終バスで帰る予定な
んだ。おっ、そろそろバスが来る頃だな…。」

 そういうなりぼうずの男は、マントのような黒い防寒着を翻すよう
になびかせながらロビーの出口へと向かう。

「ちょ…ちょっと待てよ!おい!」

 私たちは健吾を除く全員で彼の後を追う。
彼はズボンのポケットに両手をつっこんで歩いているのだが、小走り
の私たちでも何故か追いつかなかった。

「…ちょっと待てって!あんたここよく来てんだろ?いったいどうな
ってんのか…怪我人もいるんだよ!」

 少々乱暴に男の腕を掴んで引き止めたコジだったが、ぼうずの男は
しばらく無言で照明の消えたゲレンデや、どんどん暗くなっていくロ
ビーの中を見返して言った。

「ふうむ、たしかに…いつもと違うな。よし、じゃバスが来るまで私
が知っている事は答えよう。それでいいかな?」
「いいわ、それじゃさっそくだけど…このスキー場って夕方になった
ら従業員が帰ったり、電気が消えたりすることってあんの?」

 ミッキーが出口のガラス戸から、外を眺めるぼうずの男に聞いた。
吹雪は益々強さを増しているようだ…。

「いや、売店が店じまいする事はあるけど、泊り客もいるんだから電
気が全部消えたり、レストランの調理人が急に帰ったりはしないよ。」

 私たちは彼の言葉を聞いて、しばらく無言でガラス戸の外を眺めて
いた。

 

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 それから十五分ほどその場でバスが来るのを待っていた私たちだっ
たが、バスはいっこうに来る気配も無かった。
この吹雪で走れないのか、何かの事故でもあったのか…?

「あっ…!見て、車のライトが見えるわ!」

 私たちは皆、ガラス戸に張り付くように吹雪の外を見つめた。
たしかに、下の方からこちらに向かってくる車のライトの明かりが、
ちらちらと吹雪の中に見える。遅れながらもバスがやってきたのだろ
うか?

 だが、予想に反してやってきたのは乗用車で、降りてきたのは私が
先ほど見た、ホットドック売り場の背の高い女性従業員であった。
彼女は車に鍵をかけると、吹雪のなか小走りでこちらの入口へとやっ
てきた。

 彼女は入口にたむろしている若者たちを見て、少し驚きを隠せずに
いたが、私たちが入口のドアを開けると身体についた雪を払いながら
言った。

「どうしたの!?電気が消えてるじゃない?いったい…」
「私たちにも分からないんです。急に電気が消えて…中にいた人たち
がいなくなってて…」

 私が女性従業員に言うと、彼女は通路の奥のロビーを覗きこんだ。
暗く静まりかえったロビーには人の姿も見えない…。

「あんた従業員なんだろ?いったいどうなってー」
 
 コジの言葉を遮るように、女性従業員はロビーへと向かって足早に
歩きだしながら言った。

「それよりも、早く電話しなきゃ…この下の道路が雪崩で完全に埋ま
っちゃってるのよ…!」

 その言葉は、困惑状態にあった私たちにさらに追い打ちをかける悪
いニュースであったが、そのことが真に恐ろしく感じるようになるの
は、もう少し後のことである…。

 

(続く…)