ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

夜の観覧者 13話

 

         f:id:hiroro-de-55:20200410101513j:plain

 

           13  金曜、朝の出来事…


 10月7日 金曜 朝…

 深夜の三時…大都会の中にあって、さすがに人の気配も少ない時間。
交差点の信号機の明かりや自動販売機などの明かりくらいしかない田舎とは違
い、ビルの明かりや高層マンションなどがあるおかげで暗闇とまではいかない
街の中に、一つの動く影があった。

 繁華街から僅かに外れた閑静な住宅街を、そのふくよかな身体を揺らして息
を切らせて走る弁護士の川村一磨は、後ろを振り返ってずいぶん繁華街から離
れてしまった事を知った。

 もう一生分は走ったのではないかというほど、夜の町中を走り回されていて
、人気の多い繁華街から離れていくのは川村にとってはとても危険な状況に追
い込まれているように思えた。


”…ちくしょう!どんどん繁華街から離れて行きやがる…きっと奴は人気の無
さそうな場所へと俺を追い込もうとしていやがるんだ!いや…待て、奴はあの
ミュージシャンの女を駅前の大通りで堂々と襲いやがったっけ…一体あいつは
…何のために俺たちを襲うんだ?何が目的なんだ?そもそもあの…暗闇の魔女
とは一体何なんだ?”


 ほんのしばらく足を止め、ガードレールに手を置き息を整えていた太っちょ
の弁護士は、背後の自動販売機の傍にあるゴミ箱が騒々しい音を立てて倒れる
のを聞き、後ろも振り向かずに慌てて走り出した。

「…冗談じゃない、ちくしょう!」

 その場を少しでも離れようと全力で走り出した川村弁護士は、おそらく彼の
人生史上最速のスピードを観測した筈である。だが、普段走る事もなかった男
のスタミナは二百メートルももたず、転げるようにして小さなビルの裏通りに
倒れ込んだ。

 ビルと建物の間にある狭い通り道に身を隠すように川村は逃げ込み、激しく
息をつく。心臓は激しく音を立て、倒れ込んだ時に足をしこたま打ちつけてい
て、もうこれ以上は走る事は出来そうになかった。

 暗がりの通路はゴミ捨て場になっており、川村は近くに落ちている棒のよう
な物を手に、明るい通りの方を見つめて身構える。


”…さあ来てみろ!俺は他の連中と同じようには殺されんぞ…!どういう奴に
しろ、相手は女の筈だ…逆にやっつけてくれる!”


 だが、川村がいくら通りの方を見つめて身構えていても、その襲撃者はやっ
て来なかった。一分…五分…目の前の通りに姿を現す者はない…。
姿をはっきりと見たわけではないが、あれほどどこまでも追いかけて来ていた
襲撃者だったが、さすがに諦め何処かへ引き返して行ったのか?


”…上手く撒いたようだな?そうだ、俺はこうやって抜け目なく世の中を渡っ
て来たんだ。今度も上手く逃げて見せるさ!明日にはこの街を出て、海外へ逃
げるんだ。俺は死んでいった連中とは違う…!今度もきっと…”


 ほっと一息ついて、太っちょの弁護士は棒きれをその場に落とし、にやりと
笑った。暗い通路を抜けて街の中心に戻るべく後ろを振り向く。

 

 

 

 

 

 

       f:id:hiroro-de-55:20200410101613j:plain

 

 数センチも離れていない真後ろに、長い髪の女が立っていた。
女と思ったのはその外見上の特徴であって、あるいはそうではなかったのかも
知れない。それを確認する間もなく、川村は顔と首を物凄い力で掴まれ無理や
り真上に吊りあげられたのだ。

 凄まじい力に叫び声どころか呼吸さえままならなかったが、小太りの弁護士
はバタバタと暴れ、その気も遠くなるほどの苦しさから逃れて硬いコンクリの
地面にどさりと倒れ込んだ。

 そして目も虚ろに慌てて立ち上がると、明るい通りの方へと逃げるように走
り出そうとした。だが、いくら明かりの方へ進もうとしても、真後ろへと向か
ってしまう。


 その理由に気がつき小太りの弁護士は愕然とした。
何故なら自分の首が、完全に真後ろに力でねじ曲げられてしまっていたからで
ある。


 またも何者かに無理やり頭をわし掴みされ、およそあり得ない力で暗い空中
へと投げ捨てられた弁護士の川村が最後に見た光景は、凄まじい勢いで接近す
るビルの壁であった…。

 

 

 

 

 色々な出来事があった金曜の朝一番に目を覚ましたのは夏美だった。
ソファーで座りながら眠り込んでしまった夏美は、朝日が入り込む部屋の中を
見回す。

 同じく探偵の二人と刑事の涼子が二つのソファーに眠っていて、昨夜遅くや
って来た金髪の魔女…稲本光という女性は自分のべッドに足を延ばして眠って
いた…。時間は六時になろうとしている頃である。

 夏美は思い出したように起きあがると、キッチンへと向かいあり合わせの物
で朝食を作り始めた。あまり料理は得意な方ではない彼女だったが、包丁を使
わないで作れる得意料理があった。

 フライパンで薄いクレープ生地を焼いて、トマトとレタス、焼いた豚肉を薄
く切ったものにタルタルソースをかけ、くるくると巻あげたら完成という簡単
な物だ。一人につき一つくらいしか作れなかったが、野菜とお肉たっぷりの
料理である。これは夏美がレバノンへ行った時に歩きながら食べたヘルシー
なサンドイッチで、日本に帰ってからもやみつきになっていた。

 彼らが眠っている間、夏美はテーブルに軽い朝食を用意すると、先ほど作っ
たサンドを二つ手にして静かに部屋を出て行った。

 

 


 またも夢の中で悪夢のような惨劇を見た菫は、べッドの上に飛び起きるよう
に目を覚ました。これでもう五日続けて悪夢を見ている…。

 たしかに恐怖で目覚めた菫であるが、この日は泣きわめいたりせずべッドの
上で考えを巡らしていた。どうしてこの数日、こんな恐ろしい夢を見るのか?
そして事実、それに酷似した恐ろしい事件がこの街で現実に起きている…。

 どう考えても、菫には一つの破滅的な考えへと辿りついてしまうのだった。
殺人事件現場の詳細な状況を自分が知っているというのは…その場にいるか、
見ているかしなければ絶対に不可能なのだから…。

 …殺人事件の犯人は自分で…夜な夜な飛び回って人を殺しまくっている…!
失われた過去の記憶には、きっと恐ろしい出来事がたくさん隠れているのであ
る…と。

 そんな事を考えていたら、またも菫には絶望的な気分が戻ってきた。
こんなに恐ろしい思いに苦しむなら、いっそ…


「…菫さん?起きてるの?」

 ドアを開けて部屋に入ってきたのは夏美だった。
何か食べ物を皿に乗せて、べッドの菫の方へとやって来る。

 

 

      f:id:hiroro-de-55:20200410101723j:plain

 

「…どうしたの?また、怖い夢でも見たの?」
「いいえ、そんな事ないわ。」

 そう言いながら笑って見せた菫の顔色は真っ青である…。
明らかに嘘をついているというのがありありと夏美には感じられた。

「嘘ね…?でも、大丈夫よ。どんなに怖い夢や事件が起きたって、昨夜の菫さ
んには外に出て悪さする事なんか出来る筈がないの。昨夜飲んだ薬は少し強い
睡眠薬で、今朝までぐっすり眠れたでしょう?」
「ええ…まあ。」

 それを聞いて少しだけ気分が和らいだ菫は、確かに昨夜は夜中に起きるとい
事もなく、久しぶりにぐっすりと長い時間眠っていられた気がする…。

「それにね、昨夜私たちの力になってくれる人たちが来たのよ?少し変わった
人たちだけど…きっと何とかしてくれると思うわ。」

 べッドへと皿を置くと夏美はさっそく朝食の準備を始めた。
菫はべッドの上で正座しながら、年下の彼女が作ってくれた朝食をご馳走にな
った。夏美は自分の分のサンドも持ってきていて、自分の得意料理なのだと笑
顔で一緒に朝食を取った。

 

「………あら?」
「もしかして…口に合わなかった?」

 夏美の作ったサンドを口にしながら、菫は小首を傾げる。
口に合わないというよりは、その味を口の中で確かめるような感じで。

「いいえ!とても美味しいけど…変なのよ、私この味どこかで…。」

「簡単な味付けだもん、珍しいものじゃないわ。もしかして…菫さん、レバノ
ンの方に住んでたのかも知れないね?」
レバノン…?」
「ええ、中東の小国よ。最近は民族紛争なんかのイメージがあるけど、人も
素朴で良い所だったわ。そこにはね、レバノン杉っていうとても珍しい木が
あるのよ?」

 しばらく菫は食べるのを止め、夏美の話す言葉に耳を傾けていた。
過去の記憶もなく、この街の教会に十数年暮らしている菫には、世界中いたる
場所に行き色んな物を見ている夏美の話は楽しくも、夢のように聞こえる。

 菫は食事の間ずっと夏美の話を聞きながら、今日見た恐ろしい夢の内容を話
す勇気が徐々に湧いてくるのを感じた。ひょっとしたら、それを伝える事で何
かの役に立つかもしれないのだ…。


「…夏美さん。あの刑事さんにお話しなければいけない事があるんです。今日
見た夢のお話なんです。呼んでいただけますか?」

 穏やかで、それでいて真剣な表情で話す菫に夏美は無言で頷くと、急ぎ自分
の部屋へと戻って行った。勇気を振り絞り、何かを伝えようという彼女の気持ち
ちを無駄にしないために…。

 

 

 


 坂崎菫が告げた夢の内容を聞いた涼子は、その特徴的な場所を聞き心当たり
のある地点へと車を走らせていた。

 時間は朝の七時前、世のサラリーマンたちが出勤するにはまだ時間がある。
市街地から少しだけ離れた閑静な住宅街を車で走りながら人通りも無い静かな
街を目的地に向け急ぐ。この街で仕事をしている涼子には、たいていの地理は
頭に入っている。

「…たぶんその場所は山際商事っていう会社のある雑居ビルの近くだわ。隣り
が少し前に取り締まりで行った風俗店なのよ。看板が…凄く特徴的なの…。」

 運転席で少し恥ずかしそうに涼子は言ったが、その表情はひどくこわばって
いる。これから向かう所は、そういう気分にさせる場所かもしれない…。

「太っちょは、たぶん川村ね。あんな太っちょで、今どき頭ポマードで固める
のなんてあいつしかいないわ。で、修道女さんの言う事を信じるなら…恐らく
あいつ生きてはいないわね。」

 車の後部座席で、涼子とはまるで違う雰囲気で光が言った。
金髪の彼女は、コンパクトを開き目元の化粧を直しながらいとも平然と、夢の
中で太っちょの弁護士がどのような目に遭遇したかを…。


”…この人、一体何なのかしら?事件現場かも知れない場所に行こうというの
に…魔女?そんなもの信じられるものですか!信じられるのは…法と秩序よ。
この世の物ならざる存在や迷信じみた話ではなく、きっとこの事件にも必ず、
説明のつく原因の解明がなされる筈よ…。”


 涼子が向かっている場所は、菫という女性の言葉を信じるならば、事件現場
である。しかもまだ誰にも発見されてはいない可能性が大で、事件の捜査から
外されている涼子が通報も無く現場を確認するというのは違法行為だった。

 しかし、この事件に限っては少々の違法など構ってはいられないと涼子は考
えていた。菫の夢が現実に起きていたとすれば、この件も何者かによって隠匿
させられてしまうだろう。その前に…現場だけでも確認する必要があるのだ。
でなければ、この連続殺人事件の解明も出来なくなる…。


「ねえ、探偵さんあの菫さんの言う事…夢だって信じられますか?」

 涼子が助手席に座るぼうずの博士に聞いた。
今さっき菫の部屋で聞いた夢の話は、なんとも恐ろしい状況を説明していた。
二度にも渡り事件現場の状況を克明に伝えている修道女の夢を、一体どう
理解したらよいだろうか?

 彼女が、犯人しかしらない惨劇の情報を事細かに知りえているのは一体どう
してなのか?

「簡単な話だよ。彼女はこの連続殺人事件の状況や現場を知っているんだよ。
というか…見ているのかも知れないし。あるいは、記憶しているって事だ。」

 ぼうずの博士も涼子の質問にいともあっさりと答える。
涼子は彼らの考えがさっぱり理解出来ないという表情でもう一度聞き返す。

「…それって、どういう意味なの?」
「わからん。」

 コンパクトを見つめながら光が吹き出して笑った。
涼子は運転しながら横の博士をいらついたような表情でちらちらと見ながら車
を走らせ続ける。

「わからんが…あの修道女が殺人鬼であるとは思えない。だから、理由も説明
出来ないが、彼女が本当に夢に見ている事はある程度正確なものであるかも知
れない。」

 後部座席でお化粧直しをしていた光も、コンパクトをしまうと笑うのを止め、
前方の街明かりを眺めながら言った。

「…行ってみれば分かるわ。」


 薄暗い朝もやの中、涼子の運転する車は目的地へと近ずいていた。

 

 


 ぼうずの博士たちが出掛けるとすぐに、秘書の早紀は着がえをすませると
菫の部屋にいる夏美に声をかけに立ち寄った。

「それじゃ、行ってきますね?」

 夏美は部屋の入口までやって来ると、少しだけ心配そうな表情で秘書に言っ
た。

「気をつけてね。でも…大丈夫?電話した後すぐに警官がやって来るかもしれ
ないよ?」

「心配いらないわ。繁華街の公衆電話からかけて、すぐに隣の地下鉄に入る
から。そこから遠回りしてここに戻れば問題ないし。博士が言うには、連中は
このモラヴィア館に近ずいて来ないだろうって…。」
「あら…どうして?なぜ連中がモラヴィア館に近ずいて来ないと分かるの?」

 不思議そうな表情で夏美は、この謎めいた秘書の女性に聞いた。
彼女はにんまり笑いながら夏美の質問にあっさりと答える。

「さあ…分からない。けど、博士の言葉にはいつも意味があるわ。」

 そう言うと彼女は菫の部屋を出ていった。
もし、菫の夢の話が現実に起きていた場合、秘書の女性に博士たちから電話が
いく予定であった。そして秘書の女性が警察に電話をして、事件が起きた事を
伝える…。

 そのような面倒をするのは、相手を撹乱するのが目的ではあるが、涼子には
自分の同業者の中に本当に事件を隠匿しようとしている者が存在するのかどう
か?を、危険ではあったが確認するという目的があると言っていた。


 秘書は朝日が入り込むロビーへと向かって螺旋階段を降りる。
正面の入口から朝日が入り込むとはいえ、このモラヴィア館は窓が少なく、暗
がりがほとんどであった。

 ロビーまで降りてくると、秘書は電話をかけるための小銭を持っているか?
を思い出し、立ち止まりあちらこちらのポケットを捜し始めた。

 その時、正面入口のドアが静かに開き、入り込む日差しの中に人の影が伸び
る。秘書はポケットの小銭を取るのに悪戦苦闘中であり、ロビーの床を見つめ
ながらモラヴィア館へと入ってくる人影に挨拶した。

「おはようございます…。」

 ほんの一瞬、秘書はすれ違いざまの相手を見てその場で動きを止めた。
自分がたった今見たものが現実のものだったのかどうか?あまりにも一瞬の
出来事にはっきりと思い出せなかった。

 

 

     f:id:hiroro-de-55:20200410101904j:plain

 

 思い出せるのは、その黒く長い髪の毛…。
全体的に黒っぽい服装に、異常なほどの白い肌。分かったのは、それが女性的
なシルエットであったという事だ。

 

             ”…黒い女性………!”

 

 そして、その相手はいまだ自分のすぐ後ろにいる…。
秘書は固まったように正面の入口を見たまま、その場に立ちつくしていた。
すぐに後ろを振り向けば、相手を見る事も出来る…。

 だが、秘書はそれをしなかった。
出来なかったという方が正しいかも知れない。後ろの闇の中で、何かが渦巻く
ような不気味な唸りと、何か言葉のようなぶつぶつ囁くような音が聞こえ、そ
れがどんどん大きな音に変わってくる。

 勇気を振り絞り、秘書の女性はロビーの後ろを振り向いた。


 その瞬間いっさいの音は消え、背後の闇には何もいなかった。
まるで、最初からそこに何者もいなかったかのように…。


 秘書は朝日の入り込む入口のドアを開け、モラヴィア館の外に向かって走り
出ていった。

 

(続く…)