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夜の観覧者 14話

 

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              14   隠滅…

 

 10月7日 金曜 午前…

 目的の場所へと車を走らせていた涼子は、つい半年前に訪れた雑居ビルの隣
にある風俗店の派手な看板を見つけ、車を静かに止めた。

 時間は七時を過ぎたところだったが、朝もやの中動く人影はまだない。
車の中からビルの方を観察すると、確かに雑居ビルの間に狭い抜け道が続いて
いるのが見える。おそらく、菫が見たという夢の現場はこの場所で間違いない
だろう…。

「問題なのは、その夢の出来事が…現実に起きた事なのかどうか、だな。」
「…じゃあ、行きましょう。」

 涼子が先に車から出ると、その後に博士や光が続く。
車が通っていない道路を横断しながら、光は前を歩くまだ若い刑事に小さな声
で囁きながら言った。

「…ねえ、あなた、事件現場は行った事あるの?」
「いくつかは…警部と一緒だけど、見たわ。」

 冷静さを装いながら、涼子は金髪の彼女の質問に答える。
光は小さく頷くと一瞬だけにこりと若い女刑事に微笑みかけた。

 

 

 


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 道路を渡りきると、目の前には雑居ビルの間にある狭い通路があり、風俗店
の看板や自動販売機のゴミ箱が置かれていて、いくつか缶やゴミが転がってい
た。

 そしてその中に、男物の靴が片足だけゴミに雑じって落ちていた。
狭い通路は裏の通りまで続いているらしく、先は暗くてどうなっているのかは
見えない。

 と、先を行こうとした涼子の手を掴むと、光はビルの上を向いて言った。

「ちょっと待って…。」

 振り向いた涼子は、光が至極真面目な表情で顎をあげ、辺りを見回すように
しながら鼻を鳴らしているのに気がついた。何かの匂いを嗅ぎつけているかの
ようだった。博士は足元の落ちている片足の靴を見つめて、辺りをきょろきょ
ろと見回し始める。

「ねえ…どうかしたの?」
「血の匂いがするわ、それもただの量じゃない。」

 その光の言葉に涼子は一瞬だけ足が止まり、その横を光が先に出て暗く狭い
通路へと向かって歩いていった。確かに涼子にも朝の湿った空気の中に、鉄臭
く、生臭い匂いが広がっているのが分かった。

「ちょ…待ちなさい!現場の物には触れちゃだめよ…!」

 その後を、慌てて涼子も追いかける。
狭い通路は少し行くと、ビルの地下への階段がある小部屋ほどのスペースが広
がっていて、薄暗かったがその中央に人影のようなものが倒れているのが見え
る。

 と、いうのも、それが何とか人型をぎりぎりで維持していたからであって、
もうほんの僅かでも変わっていたなら、人が倒れているとは思えなかっただろ
う…。

 周りにあるビルの壁は、どこも赤黒い模様のようなものが飛び散っていて、
薄暗い通路の空間は全体的に真っ黒に見えていた。

 先ほどの鉄臭い匂いはこの場所から漂っており、涼子には辺りの暗さに目が
慣れるまで、壁や床のコンクリの黒い染みが血である事に気がつかなかったの
である。

「…ここに間違いないようね。彼女の言う夢の話は…ほぼ一致しているわ。」

 言葉も出てこない涼子に変わり、光が静かに言った。
そのビルの壁や天井を見回すと、いたるところに赤黒い血の痕が飛び散ってい
る…。いや、飛び散ったというよりは”叩きつけられている”という感じだ。
中でも不思議なのは、雑居ビルの頭上数メートル以上の高さの壁にも大量の血
痕がたくさん残っていることだ。

「…ねえ、何が起きた痕だと思う?」

 数メートル頭上の壁の血痕を見つめながら、光は隣に立つ博士に聞いた。
彼はコートのポケットに両手を入れたまま、同じく天井の血痕を見つめて即答
した。

「たぶん、壁に向かって投げつけたんだろう。この痕の数から想像するに…
ピンポン玉のように次々とね。とてつもない力の持ち主だね。」
「ええ、とても人間技とは思えないわ。」

 そして倒れている人影らしきものの傍に光は近ずいて覗き込む…。
それは首が反対方向にねじり上げられた男性のようであった。顔の表情などで
は判断できないくらいずたぼろにされていたが、光にはこの亡骸が弁護士の川
村である事が分かった。

「…もういいわ、行きましょう。」

 川村と思われる男の骸から離れると、光は通りの方へと歩き出す。
それまで沈黙していた涼子は、去ろうとする光を呼び止めながら言った。

「で、でも…何か証拠が残ってるかもー」

 その場に残り、自分の仕事を遂行しようとする涼子の腕を掴んだ光は、無理
やり通路の外へと引っぱりながら言った。

「役に立つものなんかありゃしないわ!これは人間の仕業じゃないし、逮捕
して裁判所で司法にのっとり裁ける相手でもないのよ。見て分かるでしょ?
首を雑巾みたいに絞れる怪力を持った人間がどこにいるっていうの!」

 光の説明に涼子は沈黙すると、手を引かれ車の方へと歩いて行く。
そして全員が車に乗り込むと、少しだけ動かし現場の雑居ビルが見える範囲に
車を止める。

 そして博士は後部座席に身を隠すようにしながら、携帯を取り出し秘書へと
連絡を取った。

 

 

 

 

 

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 板橋駅の東口へとやって来た秘書は、あの有名な新撰組局長、近藤勇墓所
を覗いている時に携帯が鳴った。

 かつてこの場所にあった板橋刑場で斬首された近藤勇は、少し離れた場所に
埋葬されたが、この板橋駅東口傍に局長以下、隊士たちの慰霊碑が建てられて
いる。

 博士から伝えられた情報は、およそ信じられないような話であった…。


『…という事で、警察に電話したらすぐに電車に乗るんだ。いいかい?すぐに
公衆電話から離れるんだよ?』
「はい、博士。あっ、今ね近藤勇の墓の前にいるんだよ。駅のすぐそば。」

『…ほう、近藤勇の。板橋刑場か、なんだか興味深いな。昔この土地に首切り
場があったなんて…奇妙な運命だな。』
「それから博士、さっきモラヴィア館の入り口で、おかしな女の人とすれ違い
ました。」

『…おかしな女だって?』
「はい、ひどく気味の悪い感じがしました。ふり向いたときは…姿を消してい
たんですよ。あれってもしかすると…」
『…ああ、たぶんそうだろうな。モラヴィア館の中に入って来たんだな?』
「はい。」
『…分かった。じゃ、そっちも充分気をつけてな?後でモラヴィア館で落ち合
おう。』

 博士からの通話を切ると、秘書は急いで公衆電話へと向かう。
東口広場の噴水を回り、一つのボックスへと向かった秘書は110番通報をす
る。


「あっ、もしもし警察ですか?」

 意図的に声色を変えようと秘書は、鼻をつまみながら話す。

『…何でしょう?』
「人がね、あなた、殺されているんですよ。それも首が飴みたいにぐるぐると
ねじくれて…信じられますか?あなた。もうね、おったまげるよ!」
『…それはどこですか?』

 場所を詳しく説明すると、秘書は相手の質問に答える前に電話を切って、す
ぐにその場を離れ、駅の中へと入っていった。

 博士が出掛ける前に言っていたのだが、電話の相手が色々と質問をしてくる
のは、その場所にいさせるための時間稼ぎという可能性もある、と。通報すれ
ばその場所が警察にはすぐに分かるからで、電話を使う犯人相手には最も有効
な手法なのだ。

 秘書は切符を買いながら、駅の外にある公衆電話を振り返って見た。
電話をしてから僅か二分ほどしか経っていないにも関わらず、何者かがボック
スにやって来て辺りを見回していた。

 あと数分、あのボックスにまごまごしていたら自分は連行されていたのだろ
うか?それとも…


 と、秘書は背筋に冷たいものを感じながら、朝のラッシュに近ずいた人ごみ
に紛れ駅の改札を抜けた。

 

 

 

 

 

 

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 現場の雑居ビルが見える場所に駐車して五分ほどが経過していた。
博士が秘書に連絡を入れたのが四分ほど前だから、いずれにしてもまだほん
の数分しか経っていない。

 その僅か数分が、運転席に座る涼子にはえらく長い時間に感じられていた。
彼女はいつものように靴を脱いでシートの上に膝を抱えて座り、現場である
雑居ビルを睨みながら、丸めた身体をせわしなく小刻みにゆすっている。

「あなた、厳しいご両親の元で育てられたでしょ?」
「…ええ、それが何か?」

 涼子は後部座席の光に振り向きもせずに答えて言った。
一瞬でも見逃がすまいという思いで、涼子は事件現場を見つめる。

「幼少期の肛門期固着ね。肛門期と言われる幼児期に厳しい両親の言うままに
育つと、どんな事でもきっちりしないと気が済まない融通の利かない人間にな
るそうよ?」
「…悪かったわね。融通が利かなくって。」

 光はにんまり笑うと、涼子の頭をわしわしと撫でた。

「…来た!」

 ずっと現場の雑居ビルを見つめていた涼子は、座席に深く沈む込むように座
り直すと、小さな声で言った。慌てて博士と光も身を低くして様子を窺う…。
ビルからはかなり距離があるから、こちらの車の中までは見えないとは思うが
油断は出来ない。外からは車が止まる音とドアを閉める音だけが聞こえてくる。

 涼子は身体を僅かに起こし、ちらりと窓の外の雑居ビルを見た。
駐車した車はパトカーではななく、一台の黒いバンだった。おまけに出てきた
のは警官でも機動隊でもない数人の男たちで、彼らは何かの荷物を持ってビル
の脇の狭い通路に向かって走って行く…。

「…何者かしら?」

 黒いバンの横には「豊島電気」などと大きな白い字で書かれてある。
配線工事などの電気屋であろうか?

「…あからさまに怪しいな。真っ黒なバンに白字で大きく豊島電気なんて…
しかも全ての窓ガラスにスモークが張ってある。間違いなく工作用の車だ。」

 すると僅かな時間で急ぎ足で通路から出てきた男たちは、黒いバンに乗り込
むと、猛スピードで走り出し雑居ビルから離れて行った。

 次の瞬間、ビルの通路からオレンジ色の閃光と共に火の手があがる。
あっという間に火は広がり、黒い煙がもうもうと立ち昇る火災になった。

「…あいつら火を放ったんだ。つまり…」
「証拠隠滅ね…。」

 博士と光が燃え盛る炎を見つめながら言うと、遠くから消防車のサイレンが
聞こえてきた。通りには人がちらほらと出てきて何事かと騒ぎ始める。


 涼子は苦々しくその炎を見つめると静かに車を走らせ、黒煙が立ち昇り人が
騒ぎ始めた雑居ビル周辺を後にした。


(続く…)