ザ・怪奇ブログ

怪奇小説・絵画・怪奇の世界!

夜の観覧者 18・19話

   f:id:hiroro-de-55:20200503171532j:plain


           18  黒と白の激突


   10月7日 金曜夜…

 暗闇の中、ヘーゼルグリーンの瞳は燃えるように輝きを増していた。
瞳はさながら蛇のようなスリット状に変化していて、それは光が自身の身体に
オルゴンというエネルギーを増幅させる事によって起きる、いわば生理現象の
ようなものである。

 その興奮作用により、短時間ながら何倍もの力を発揮する事が出来るのであ
るが、使用者の身体に過度の負担をしいる危険なエネルギーでもあった。一度
死んで、闇の蘇生術で蘇った光の強靭な身体でも、使用を続けるのは数分が限
界である。

 

 外への階段を転がるように落ちていった襲撃者を追いかけ、光が階段の踊り
場へとやって来た時には、すでに敵の姿はなかった。外は駐車場になっており
、明かりも少なく暗い。辺りは都会の中とはいえ人通りは少なく静かだった。

 

 秋の夜風が金髪の髪をさらさらと撫でてゆき、光は階段の上から大都会東京
の夜景を見つめた。世界一の人工密集都市…一千三百万人ほどの人々が暮らす
街。いや、住んではいない者も含めれば、それ以上の人が行き交うモンスター
都市だ。

 もしも、ここで襲撃者を逃し、六人目の犠牲者を出したなら、この大都市の
真ん中で旧時代から続く”闇の遺産”が、またしても使われる事になるのだ。
しかも、今度はオルゴンの暴走どころの話ではない…巨大な血の六芒星によっ
て次元の壁が崩壊するかも知れないのである…それはどんな事故や天災よりも
恐ろしい事態を引き起こす事にもなりかねないのだ。世界一の人工密集都市の
ど真ん中で…。

 

 


I Will Survive - Gloria Gaynor instrumental cover by MIANGELVE

 

 

 光は舌打ちしつつ、鉄で出来た長い階段を降りながら、考えを巡らせる。
 
”…襲撃者が「暗闇の魔女」なのかどうかは分からないけど、たった今蹴りつ
けた感触から、明らかに肉体を持っているのは間違いないわね。それならば、
戦う術はある。しかも、この襲撃者は武器を持ってきたところを見ると…”

 その時、残り十数段まで降りてきた時、光は足首を誰かに掴まれバランスを
崩し階段を転がり落ちた。

「…痛った!こんちくしょう…!」

 

 またも舌打ちしつつ、光は階段の下でうずくまったが、暗がりから勢いよく
襲いかかってきた黒ずくめの襲撃者に対し素早く跳ね起きると、その腹部辺り
に凄まじい回し蹴りを入れた。驚きと共にうめき声をもらす襲撃者に、光は
さらに強烈な上段蹴りを長い足で放った。

 

   f:id:hiroro-de-55:20200503194011j:plain


  

 だが、今度はうめき声を放ったのは光の方で、蹴りを放った自分の足を抑え
てうずくまる。まるで鉄の板を蹴りつけたような衝撃で、足首がびりびりと痺
れていた。

      ”…何なの、あの身体…まるで全身が鉄の塊みたいに硬い…!”

 その一瞬を黒い襲撃者は逃さずに、凄まじい勢いで近ずいてくると、ほとん
ど殴りつけるような勢いで体当たりをかまし、光を地面に叩きつけた。

 半ば意識が朦朧として倒れ込んだ光に黒い襲撃者はのしかかると、上から拳
をでたらめに振りおろす。まるで鉄球で殴られているようだと思いながら何と
か顔面に当たらないようにガードする光だったが、地面に叩きつけられた時の
ダメージでガードの上から数発のパンチをもらい、ついに力無く光はグッタリ
としてしまった。

「…うげっ…!?」

 ものの数秒くらいの間で、光は黒い襲撃者にのばされてしまい、意識が薄れ
かけた状態で駐車場のコンクリの上に倒れていた。上にのしかかったままの黒
い襲撃者は勝ち誇ったように光を上から見下ろすと、両手で彼女の首を掴み、
締め上げる…!利根川警部を意識不明に追いやったかもしれないという、その
怪力で…。

 

 

                 f:id:hiroro-de-55:20200413163947j:plain

 


 薄れゆく意識の中で、光は自分の首を絞めながらいやらしげな笑みを見せる
相手を見つめた。長い髪の間にその顔が見えたが、恐ろしく濃い化粧を施して
いた。性別は分からないが、首を絞められる自分の姿を見てひどく興奮している
のが分かる…。それをもう少し長く楽しみたいのか、絞める力を僅かにセーブ
しているのが光には分かった。

        …その僅かな油断が、つけいる隙を与えた。

 

        (…しめた!この子、まだ青いわ…!)

 絞める力が落ちたその両手を光は逆に掴むと、物凄い握力で襲撃者の手の甲
の骨をばきばきと音を立てて粉砕した。

「ぐぎゃっ!?」
「…まだ若いのに、おばさん相手に興奮してるんじゃないわ…よっ!」

 下からかち上げるように襲撃者の股間に強烈な膝蹴りを叩き込むと、すっか
り油断していた襲撃者はその場に一メートルほど浮き上がって悲鳴を上げた。

股間への膝蹴りは光の得意技である。

 

「…さすがに”そこ”までは鉄板とはいかなかったわね…!」

 

 素早く起きあがった光は、股間を抑えて声も無く背を丸めている襲撃者の顎
に強烈な膝蹴りを打ち込むと、何か硬い物が砕けるような音がして、襲撃者は
尻持ちをつくように真後ろへと倒れ込んだ。

 

     

    f:id:hiroro-de-55:20201005205841g:plain

 


 しかし光もそのダメージからか、膝をついて倒れ込む。
その時、階段の踊り場には二人の喧嘩?を見ようと数人の客が出てきていた。
その後ろには、人の波に押されて身動きの取れない博士と秘書もいたが、中々
前に出る事が出来なかった。

『…本物の喧嘩か?』
『おいおい、相討ちかよ?』
『…おばさん頑張れ!』

 野次馬が増え、口々に言葉を発っしているのが光の耳に届いてくる。
その中に、聞き知った声が交っているのが分かった。

「…おばさん頑張れーっ!」

 ちらりと見た階段の踊り場に、秘書の早紀が腕を上げて声を張り上げている
のが見え、野次馬の中で笑いが起きている…。

「…ちょ……おばさん、違う…!」

 ダメージの深い黒い襲撃者とは対照的に、光は秘書の言葉に反応し素早く
上体を起こしたが、そのダメージは深刻だった。


 その時、階段の踊り場から女の悲鳴のようなものが上がった。
野次馬たちがいっせいにゲームセンター内を振り向くと、一人の女性がフロア
内の暗く高い天井付近を指さして、悲鳴を上げていたのである。

 博士がその女性の見つめる先を仰ぎ見ると、十メートルほど上の天井付近に
先ほどこのフロアに逃げ込んできた男がバタバタと足を動かしているのが見え
た。天井付近は薄暗く、何が起きているのか分かりずらかったが、博士には男
が上に吊りあげられているように見えた。

「…しまった!こちらが本命か…!」

 断末魔の悲鳴が聞こえ、身体が動かなくなると、糸が切れたように男の身体
は金曜の人で溢れるゲームセンターの真ん中に凄い音と共に落下した。天井に
あるいくつかの鉄製の柱も何本か一緒に落下してきて、ガラスや物が割れる音
がけたたましく鳴り響いた。たちまちフロア内は、悲鳴と逃げ出す人でパ二ック
状態と化した。

 博士は逃げながら振り向くと、フロアの床の上に倒れた男の姿が見えた。
男の身体は雑巾を絞った後のような、およそ信じられない姿でぐるぐるにねじ
れていたのである。とても生きているとは思えなかった。


 しかし、それはまだ終わってはいなかった。

 

 

 

 郊外の娯楽施設で事件が起きたちょうどその時刻、モラヴィア館の夏美と
涼子の二人は奇妙な物音が鳴り始めた事に気がついた。

 何か小さな物音で、かたかたと鳴り始めている…。

「…ねえ、これ、何の音?」

 涼子がソファーに座る夏美に聞いた時、彼女は立ち上がり窓際へと歩いてい
た。夏美はその物音が、どこから響いているのか聞き分けていたのだ。

「…窓だわ。小さな振動のようなものでかたかた鳴ってるのよ。」
「どういう事?地震かしら?」

 二人が物音を静かに聞き分けていると、それはしだいに大きな物音へと変わ
り、まるで大きな地震でも起きたかのような振動音へと変わった。涼子は立っ
ているのもままならないくらいの振動によって、部屋の床の上に倒れ込み耳を
塞いだ。

「ちょっと…何なのよ!これ!」
「分からない…!でも地震じゃないわ、だって地面は揺れてないもの!」

 ふらふらと夏美はテーブルへと手をかけようと大きなアンティーク机に手を
伸ばす。その時、夏美の手がヴァイオリンに触れ、床の上に音を立てて落ちて
しまった。

 慌ててヴァイオリンを拾い、どこか傷つけてはいないかと夏美は大事に手に
取って調べる。音楽家の夏美にはとても大事な物なのだ。

 その瞬間、それまで頭がぐらぐらと揺れるほどの振動があった現象が、嘘の
ようにぴたりと止まった…。

 夏美と涼子は床の上に倒れ込んだ状態で顔を見合わせると、しばらく無言で
部屋の中を見回していた。先ほどまであれほど大きな振動音が鳴り響いていた
のが、今は静かな沈黙が流れていて、遠くで犬の鳴く声が聞こえてくる…。


 ゆっくりと起き上がり、夏美がずれかけた柱時計を見つめた時、針は夜の
二十二時ちょうどを指していた。

 

 

 

 

 ほとんどのお客が二階のフロアから逃げ去った頃、今だその場所には何かが
起きる気配のようなものが充満していた。それというのも、誰もいなくなった
筈のフロアには何かが動いている微かな物音がしていたのである。

 薄暗いフロアの床に、倒れていた男が何かに引きずられるようにずるずると
動き始め、不意に凄まじい速さでまたも天井付近まで引き上げられたのだ。

 と、いきなり男はバッティングマシーンの球のように、凄まじい勢いでこの
フロアの壁に向かって投げつけられたのだ。その様に表現するのは、博士には
そうとしか例えるものが無かったからである。

 それはその後も凄い勢いで数回続いて、近くにやって来た秘書はその激しく
フロア内の物を壊す音に耳を塞ぎその場にうずくまった。博士には一体何者が
これらの事を行っているのかを確認しようと目を凝らしたが、ほとんど電気も
壊された状況の暗いフロア内で、何が起きているのかを知る事は不可能であっ
た。

 だが、それは奇妙に突如として止んだ。
しばらく博士と秘書の二人は、フロア内の物音に耳を傾けていたが、聞こえて
来たのは遠くからこちらに向かってやってくるパトカーのサイレンの音だけだ
った。

「は、博士!さっきの黒い奴がやったの!?」
「いや…違う。別のやつだ、それより早いとこ光さんを連れて戻ろう。作戦は
失敗だ…この後何が起きるか分からない…。」 

 博士はすぐに秘書の姿を見つけるとその手を掴み、物でごちゃごちゃの店内
を外への階段へと向かって走った。腕の時計を見ると、時刻は二十二時ちょう
どを指していて、それはくしくも、モラヴィア館で夏美たちが体験した、奇妙な
現象とほぼ同時刻である…。


 二人が外への階段の踊り場を降り、倒れかけた光の傍へとやって来た時には
例の黒い襲撃者の姿はなかった。恐らくは、逃げ出した若者たちに乗じてこの
場から立ち去ったのに違いない…。

 光の瞳はすでに輝きは薄れていて、力無く階段の手すりに寄りかかるように
して何とか立っていた。時間はそれほど経ってはいないが、あちこち傷だらけ
だった。中でもひどいのは、左目の上の痛々しい青あざである…。

「…ごめん、逃げられたみたいね…。」

 切なそうに笑う光は、階段を降りてきた二人に小さな声で言って片手を上げ
た。その姿を見た秘書は、堪らずにぽろぽろと涙をこぼす。

「…こんな事が出来るなんて信じられない…!絶対に許せないわ…。」
「…まあ、向こうはもっと酷い事になってるでしょうけど…。」

 光は傍で涙を流している秘書の頬を、ぽんぽんと力無く触り笑う。

 

 

     f:id:hiroro-de-55:20200413164838j:plain

 

「…光さん、作戦は失敗だ。男は殺された…二階のフロア内で。恐らく、暗闇
の魔女の仕業だと思う。本物のね…」
「…冗談きついわね。それなら…今の黒い奴は、ニセモノって事ね…」

 そう言うと光はふらりと倒れかけたが、二人で支えると博士が彼女を背中に
おんぶしながら言った。

「この場を急いで立ち去ろう。まごまごしてると捕まってしまう…早紀君、
通りでタクシーを拾ってきてくれないか?」

 無言で頷くと、秘書は駐車場を走り抜けて通りへと向かった。
博士は慌てずに急ぎながら、その後を追い光をおんぶしながら駐車場を横断し
て歩く。

 その博士の背中で、光は何度も鼻を啜っては泣いていた。

「痛むのかい?」
「いえ…そうじゃないけど…私、また役に立てなかったから…。」

 言った傍からすぐにめそめそと泣きだす、四十に手が届こうという女性の尻
を、あやすようにぽんぽんと叩きながら、博士は言った。

「これで終わった訳じゃない。まだ、時間はあるはず…なんとかなるさ。」

 まるで根拠のない博士の言葉だったが、光は僅かに微笑んで目を閉じる。
なんとか気力を振り絞っていた光だったが、揺れる背中の上で意識を失った。


 それが、ほとんど敗走と言ってもいい、金曜の夜の出来事だった…。



 

 

             19  闇の訪れ…


10月7日 金曜深夜にかけて…


 モラヴィア館へと急ぎ戻ってきた博士たちは、慌てながら自分たちの借りた
部屋へと光を運び込んだ。

 当然隣の部屋に住んでいる夏美らは、博士の背におぶされて戻って来た光を
見てその後に続いて部屋へと入ってきた。見るからに光は重傷であると思えた
からである。

 何事が起きたのかと、モラヴィア館の住人であるウェイターの千枝子も廊下に
出てきて小首をかしげていた。彼女も先ほどの奇妙な振動に驚き、自分の部屋
から飛び出して来ていたのである。

「ちょ、ちょっと、どうしたのよ!まさか、あなたたちー」

 べッドに寝かされた光を見て、腕を組んで考えている博士に向かって涼子が
言った。彼はしばらく考えをまとめてから静かに話しだす。その間にも、秘書
はお湯を沸かしたり、水で絞ったタオルを光の顔などに当てながら忙しく動き
回っている。

「…そのまさかだよ。六人目の被害者を出してしまった。たぶん、襲われたの
はまたアンティークショップ仲間の一人だろう。光さんは…襲撃者を倒すには
倒したが、逃げられてしまった。その間に”暗闇の魔女”と思われるものが現
われて…その男を襲った。」

「嘘でしょ?じゃ…じゃあ、六角だかなんだかは完成したって事!?」
「そうなるね。だが…」

 涼子はほとんどパニック状態で、博士やべッドで横になっている光を見なが
ら言った。

「だから言ったじゃないの!あなたたちだけで行くのは反対だって!」
「…黙って!光さんの手当てが先だから、部屋から出てって!」


 物凄い剣幕で秘書が涼子を部屋の入口まで押し戻すと、まだ何かを言おうと
している涼子を、冷静な夏美が無理やり引き連れて部屋を出ていった。

 

      f:id:hiroro-de-55:20200504220532j:plain


      


 

 

 無理やり自分の部屋へと涼子を連れ戻した夏美は、窓に映る点滅した赤い
ランプの明かりを見て窓際へと向かった。

「…ちょっと涼子さん、見てあれ…!」

 しぶしぶ窓際へとやって来た涼子は、目を見開き窓の外の見覚えのある明か
りを見て夏美の部屋を出て行く。向かいにある教会の入口にパトカーが停まっ
ていて、何か事件があった事が分かる。

 腹を立てていた涼子は、自分で連中から聞き出そうと思いモラヴィア館を出
ていく。六人目の犠牲者が出た以上、もはやこそこそこんな所で隠れてはいら
れないと涼子は思ったのである。

「…涼子さん、待って、私も行く!あそこには菫さんがいるのよ!」

 二人がモラヴィア館を出て、教会の入り口までやって来ると、何事が起きた
のかと戻ってきた修道女たちが立っていて中の様子を窺いながら話していた。
パトカーの脇には一人の警官が立っている。

「関係者以外立ち入り禁止です。」
「…警察の者よ!」 

 涼子は入口に立つ警官に手帳を見せ中へ入っていくと、そこで見覚えのある
連中に出くわした。例の捜査隠滅を行っていると思われる本間署長の部下二人
である…。

 まるで怪奇映画から飛び出して来たような容姿の二人で、一人はやけに背が
高いフランケンのような男、もう一人はずんぐりとした毛深い狼男のようだっ
た。

「おい、あんたは休職中のはずだろ?何しにここに…」
「うるさい!ここで何があったか言いなさい!」

 いつも嫌らしげな笑いを浮べている二人の刑事だったが、涼子の剣幕にたじ
ろぐ…。というのも、いきなり彼らに涼子は拳銃を突きつけたからである。
だが、すぐに彼らは嫌らしげな笑みを取り戻すと得意な顔で言った。

「神父が死んでたのさ。カッターのような物で首を切りつけてな。発見者は
坂崎菫というこの教会のシスターだ。参考人としてすでに連行された。あの
シスターには色々と問題があるようだな?たぶん神父をやったのは、彼女と
いう可能性が高い。」
「ちょっと…冗談じゃないわ!菫さんがどうして神父様を殺さなくちゃならな
いのよ!父親みたいなものなのよ!?」

 これまた凄い剣幕で夏美に迫られた刑事は、表情を険しく変えた。
煙草の匂いが全身に染み込んでいるかのような二人で、その吐く息はくらくら
するくらいハッカの香がする。

「…あんたは何者かね?」
「羽田夏美、彼女の友達よ。」

 その名前を聞いて二人の刑事は顔を見合わせる。
その動揺の仕方は、明らかに夏美を知っているというようなものだった。

「…あの、ヴァイオリニストの?」
「そうよ!菫さんは…彼女は今どこにいるんですか?」
「…署に連行されたよ。通報してきたのは彼女らしい。何度も殺人の現場に
居合わせるなんてこれ以上怪しい者はいないとの署長の判断だ。」

「…行くわよ、夏美さん。」

 二人の刑事の話を聞いた涼子は素早く振り向くと、夏美の腕を掴んで教会の
廊下を出口に向かって戻る。

「行くって…まさか涼子さん。だって署には敵の…」
「…友達は無実なんでしょ!?だったら連れ戻さなくちゃ!署長が敵の側だと
しても、もうこそこそやってられないわ。」

 物凄い勢いで夏美の手を引きながら涼子は教会の入口まで戻ってゆく。
当然、二人の刑事もその後を追いかけてくる。

「おい、お前は休職中なんだ!これ以上よけいな首をつっ込むんじゃー」
「…ついてくれば撃つわ!今はそんな事言ってる場合じゃないのよ!ほら、車
のキー出すのよ!早く!」

 二人の警官は無言で涼子にパトカーのキーを渡すと、苦々しい表情で涼子
たちが教会を出て行くのを見つめた。

「…こんな事は許されんぞ!この次会う時は、お前は拘置所の中さ!」
「あんたたちに”次”があれば、ね!」

 運転席から顔を出しながら、涼子が後ろの二人組みに吐き捨てるように言っ
て、パトカー内にあった連中の持ち物を外に放り出す。主に煙草の箱と車内に
張ってあった卑猥な写真の数々である。

「…そこ、どきなさい!」

 教会の門の前で、ひそひそと囁き合っていた若い修道女たちを怒鳴りつける
と、涼子はパトカーを乱暴に急発進させた。

 

    f:id:hiroro-de-55:20200413172018j:plain


 

 

 



 

 夏美たちが出掛けた後、べッドに寝かせた光の傷の汚れをお湯で拭き取ると、
秘書は博士の言うとおりに光の小さなカバンを持ってきた。

「…博士、かってに開けちゃっていいのかな?」
「緊急事態なんだし、しかたないだろう…。」

 秘書が光のカバンを開けて中身を出すと、口紅やポケットティッシュに生理
用品、それに真理の写真が数枚出てくる。その中に数年前に見た彼女の化粧用
の小さなコンパクトが出てきた。

「これだ、やはり持ってた。」

 博士は蓋を開けると、三面に広がるコンパクトを見て、困惑の表情で秘書と
顔を見合わせる。一番右側にある面に五種類のファンデーションが並んでいた
のだ。

 光は数年前、双子岳へと向かう車中で、いくつかを混ぜながら化粧をしてい
たのを二人はおぼろげながら覚えていた。これは化粧道具に誤魔化した、光の
持つ「細胞再生薬」とも言うべき薬剤なのだ。光…間宮薫は幼少の頃に植物の
毒で命を落としたが、密かに製造されていた薬によって蘇った。

 それが現在唯一、光だけがその知識を持っているという「細胞再生薬」なの
である。


「うーん…何か三つくらい混ぜていた気がするんだがなぁ…。」
「博士、適当に混ぜ混ぜしてみようか?」

 数年前の事件が終わり、双子岳から救出された光のお見舞いに行った時に
二人は彼女にコンパクトを返しに行った。その時に聞いた話では、光がブルク
ハルト焼失の際に追った火傷の傷は、今だ完全には治癒していないそうだ。

 とくに顔は女性にとって重要な部分である。
彼女はそれ以来、例の再生薬をコンパクトに入れて常に携帯しているとの事だ
った。

 
 秘書がいくつかのファンデーションを混ぜ合わせた時、覚えのある匂いが
してきたのを秘書は感じ、博士と顔を見合わせる。

「あっ…この匂い、光さんの匂いだ…!」
「そうだな、何て言うか、バニラエッセンスとフルーツヨーグルトを混ぜたよ
うな匂いというか…。恐らくこの匂いが再生薬のものだろう。」

「…じゃあ、傷に塗り込んでみる。」

 スポンジに練り合わせたファンデーションをつけると、秘書はまずは小さな
膝の傷に当ててゆく…すると見ているうちにも傷の痕が小さくなっていくのが
分かる。

「博士、凄い!見る見る治りますよ、これ!」
「ふむ…たいしたもんだな。ところで、そのスポンジが何で出来ているか君は
知っているかい?」

 博士の突然の言葉に秘書は手を止めて、自分の持つスポンジを見つめた。
そして良く判らないというように首を振る。

「海綿動物という多細胞生物で、岩や海藻なんかに固着して生きてる。身体に
隙間がたくさんある組織で出来ていて、水分を吸収しやすいのが特徴なんだ。」
「へえー、これ動物なんだ!あっと…」

 と、思い出したように秘書はまた光の傷を治す事に専念する。
見えている部分の大まかな下半身の傷に薬を塗ると、今度は傷の深そうな上半
身部分にかかった。

「…よし、とりあえず脱がそう!」
「いやいや…博士、傷はほとんど顔の部分じゃないですか…。」

 光の傷で、最もひどいのは左目の上である。
秘書はその場所に念入りに薬を塗りつけていく。傷が大きいので今度は目に見
えて治っていくという事はないが、恐らく効果はある筈であった。

「…右肩にも傷があるな。やはり…脱がした方が…」
「だからダメですってば……あ、でも興味あるから脱がそう。」

「ちょ…やめなさいって!?」

 彼女の服に手をかけた時、光は脱がされてはかなわんと思い、むくりとべッ
ドの上に起きあがった。

「おっ、復活したか。さすがに効果てきめんだな。」
「…良かったわ!」

「…ほんとは、これはもう使わないと決めていたんだけど…ね。」

 なんともバツの悪そうな顔で光は二人に向かって言った。
起きあがったといっても、ふらつく状態の彼女はこめかみの辺りを抑えていて
、何とか意識を戻したばかりなのだろう。

「あとは自分でやるから…二人とも、ありがとうね。」

博士と秘書の二人は、彼女の顔色が少し良くなりつつあるのを確認すると、
コンパクトを光へと手渡し部屋を出ていった。


 なにより、光の冴えない表情からは”一人にしてくれ”というものが滲み出
ていたからである…。 

 

 

 

 

 


【無料フリーBGM】熱い展開のハードロック「Raid2」

 

 

      f:id:hiroro-de-55:20200413172154j:plain

 

 涼子らの乗るパトカーは警察署内へと入ると、正面入口に急停止して車から
降りた。近くにいた警官たちは、驚きの顔で涼子を見つめている。

「…ねえ、署長はいる!?」
「あ、ああ…本部にいるよ。でも、君はたしか…」

 それだけ聞くと涼子は早足で中へと入っていくと、その後を夏美も追いかけ
るようについてゆく。署内は何か問題が起きたようで、皆バタバタとしている。

 廊下を通り過ぎる間、すれ違う同僚たちは涼子の姿を見て驚きと共に、その
只ならぬ様子に道を開ける。涼子が休職中である事は皆が知っている筈だ。

 本部の入口に例の電話で協力してくれた若い警官がいて、やって来た涼子を
見て一瞬だけ驚いた表情をしていたが、これから起きる事を想像して何か楽し
そうな表情に変わった。

「…本間署長は!?」
「奥にいます。」

 署長の本間はたくさんいる刑事たちに雑じって、自分の机の椅子に踏ん反り
返って腕組をしている。涼子は一直線に彼の机に向かっていった。その姿に気
がつくと、彼は椅子から立ち上がるほど驚いた。

「お、お前、こんなとこで何をやってる!?」
「…彼女はどこ?連行した坂崎菫さんよ!」

 涼子は机に両手を叩きつけながら大声で言った。
大勢いた刑事たちは一瞬で動きを止め、そちらを振り向く。

「…何しに来た。お前は休職中の筈だ。家に戻れ、こっちは忙しくてそれどこ
ろじゃないんだ…!」
「それはそうでしょうね!今度は誰が死んだの?大勢が見てた以上、今度は
もみ消せないわよ?今朝の火事のようにね!分かる?今朝の火事よ!」

 本部の部屋にいる十数人の刑事たちは、涼子が何を言っているのか分からな
い、という表情で二人のやり取りを黙って見つめている。それもその筈、事件
のもみ消しをしているのは、署長の息のかかった者数名くらいで、後の連中は
まるで関わりが無い筈だから。

「…火事とは今朝のビル火災の件の事を言ってるのかね?あれは電機系の発火
が原因だと報告を聞いているが?」

 涼子は本間署長の得意げな説明を聞いて、広い部屋中を見回しながら鼻を鳴
らして笑った。

「目撃者がいないと思ってるのね?残念でした!通報して来たのは私の知り合
いよ!おまけにビルの現場には私もいたのよ?ホラー映画も真っ青な殺人現場
よ!とても人間のしわざとは思えないほどのね!間抜けな電気屋の連中が火を
つけて現場から去るところも携帯に納めてあるわ。どう、見る?」

 彼はそれを聞いて、歯を食いしばりながら何かを思案していた。

「…私は報告を聞いただけで、そんな事は知らん。お前がそう言うなら電気屋
の事はそうなんだろう…だが、殺人事件があったなどという証拠は無い!」
「あら、そう来たのね?いいわ、今はそんな事を問題にしている訳じゃないの
よ、それよりゲームセンターで死んだ男は一体誰なの?あんたたちの仲間じゃ
ないの?六番目のね!」

 またも涼子が言う事に、署長はぎょっとなり言葉に詰まった。
署長には涼子が何処まで知っているのか分からなかったが、こんなに大勢の前
で聞かせられる話ではない事に気がついた。

「…涼子君、隣の署長室で話そう…。」
「いいわ。行きましょう。」


 署長と涼子は、唖然として聞いていた大勢の刑事たちを部屋に残し、隣の
署長室へと入っていった。

 

 

 署長室に入ると、本間は自分の机に座り煙草をくわえた。
そして震える手でライターを持ち火をつけようとしていたが、上手くいかずに
その場に投げ捨ててしまった。

「…坂崎菫を連れて帰れ。お前は彼女を連れ戻しに来たのだろう?」

 涼子の隣に立つ夏美は、署長のいきなりの言葉に驚いた。
なぜなら、連行していった菫を調べる事もなく帰すというのだから…。

「ええ、もちろん。けど、その前に聞くことがあるわ。」
「…言っとくが、私は連中とは関わりが無いんだ。奴らのやっている事にも
興味が無い。」
「…奴ら?奴らって…あの会員制のオカルトショップのメンバー?下柳会長の
サタニズム教なんですってね?」

 それを聞いた本間署長の怯え方は尋常ではなかった。
そして、急に囁き声のような小さな声で涼子に話しかけはじめた。

「…いいか、下柳グループはこの街のほとんど全てに影響力のある世界的な
企業だ。敵に回してはこの街で生きていく事など出来ないんだ。奴の金持ちさ
加減といったら…少しでも逆らってみろ、私やお前のキャリアなど一瞬にして
吹き飛ぶんだぞ?」
「あんたのキャリアなんて知った事じゃないわ。それより、ゲームセンターで
殺された男は、一体誰なの?」

 本間署長はしばらく無言でいたが、涼子の考えを読み取ろうとして逆に質問
してきた。

「…その男が死んだところで、お前になんの関係がある?しばらく休んでいれ
ば、また仕事に戻れるんだぞ?それをー」
「あなた、知らないのね?連中、この街に人の血で作った巨大な六芒星を描い
てるのよ。魔法陣…とか言うらしいわね。私は今でもそんなこと信じちゃいな
いけど…」
「…連中の得体のしれん儀式だろう?そんな呪いかなにか知らんが、私らには
関係が無いだろう?しかも、死んでいるのは連中の仲間内だ…むしろ大騒ぎせ
ずに、事件をもみ消せば済む事じゃないかね?」

「いえ…違うのよ、よく判らないけど…何かが起きる気がする。すでに下柳会
長とそのグループの連中は、密かにこの街を出る用意をしてるわ。それもこの
一日二日の間によ。この事件には一流の学者や科学者も雑じってる、何かが起
きるのよ、この街で…。」

 本間署長は疲れたような表情で、ぼんやりと涼子を見つめていたが、しばら
くして彼女に話しかける。

「お前、まだ捜査を続けるつもりなのか?これ以上連中に関わり続ければ、自
分の身にも危険が及ぶぞ?利根川を見ろ…あいつの様な目に遭わされるぞ…」
「…当然よ。私は、法と秩序を守る刑事ですもの。きっと、利根川刑事もそう
する筈です。」


 それから署長は黙ったまま窓の外の街明かりを眺めていたが、涼子の方を
振り向く事もせずに静かに言った。

「…坂崎という娘を連れて帰れ。ゲームセンターで死んだのは、菅林昭三…
心理学博士だ。」


 それだけ聞くと涼子は夏美と共に署長室を出ていったが、その間も本間署長
は振り返らず、しばらく大都市東京の街明かりを眺めていた。

 部屋にあるテレビのニュースからは、小さな音で明日の夜に迫った世紀の
天体ショーについて語っている。署長は興味が無いというような表情でテレビ
のスイッチを切ると、またも眼下の街明かりに目を向けた。

 その街明かりが、ぽつりぽつりと消えてゆき、そして警察署の電気という
電気全てが突如として消えた。


 何かが、起きようとしていた。

 

(続く…)