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灰色のシュプール 1

   

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 白い粉を降りかけたような越後山脈が、田んぼ道の先に雄大な景色を
見せると、私たちはバスの窓から覗きこむように山を眺めた。

 異常とも思えた記録的な暑い夏のせいで、一月にしては雪が少ないそ
うだが、それでも朝に東京を出発してきた私たちには、別世界のように
辺り一面の銀世界である。

 ひと際高い山脈の中腹に「人」という文字のような白い模様が山頂に
かけて続いていた。それこそ私たちが、これから向かう双子岳スキー場
である。

 土日にかけて大学を抜け、皆でスキー場へ行こうと言い出したのは
昨日の事だったが、正直言って私はここへ来るまでは気が進まない状態
であったのだ。

「ほら、見てよあの雪山!すっごい綺麗じゃん?ね、香菜も来て良かっ
たでしょ?」
「…まあね。」

 後ろの席からこちらに身を乗り出して話しかけて来たのは、友達の
美紀だ。彼女の長い髪は金髪で、仲間内ではミッキーと呼ばれている
ちょっと派手な女の子である。今日もド派手な色のスキーウェアーを
着こんできていた。

 それに比べて私の方はというと、普段からいつも黒っぽい服装ばかり
であり、ほとんど自分から話をすることがない私は皆から、”クール・
ガール”と呼ばれている。多くの場合、それは褒め言葉ではないのであ
るが…。

 おまけに私は常にサングラスをかけて生活しているような感じで、人
からすれば私のトレードマークのようなものだが、実は私自身臆病な所
を隠すためのアイテムになっているのかも知れない。

 

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【無料フリーBGM】一面の雪景色のような静かな曲「Snowy Day4」


 

 私は黒いサングラスをずらして、雪の越後山脈をゆっくりと眺めた。
時計を見ると時間はお昼に近かったが、山頂付近は黒い雲がゆっくりと
広がりつつある。


 千メートルを超す、高い山の中腹にあるというスキー場へ向けて走る
バスには数人の客しか乗っていなかった。このバスはこの先、スキー場
まで止まる事はない。つまり、今このバスに乗っている者たちは全員、
スキー場で降りる者たちばかりなのである。

 私の隣には大学の仲間で成績も優秀な、亜衣子がバス酔いで青い顔を
して座っている。彼女とは普段からも、ほとんど言葉を交わしたことが
ない。

 ミッキーの隣に座る大きな男は、浩二。皆はコジと呼んでいる少々騒
がしい性格で、正直言って私は苦手にしている男の子だ。この大男は、
ミッキーに興味があるようなので、彼女の親友である私も顔を合わせる
機会が多いという事になるのだ。

 後ろの席に一人で座るのはドレッドヘアーの健吾。ひどく痩せていて
髭ずらの彼はスノーボードの達人で、おまけにダンスも得意なヒップホ
ッパーだ。


 私の仲間以外にも、数人ほどがバスに乗っていた。
サングラス越しに私はバスに乗っている乗客を、一人一人値踏みするよ
うに眺めていた。サングラスの便利なところは、目線を合わせる必要が
無いところである。

 数人の乗客で目に付いたのは、スキーウェアーに身を包んだ中年と思
われる男性だ。ひどく表情がこわばっていて、とてもスキーを楽しもう
としている様には感じられなかったのだ。もちろん、私の思いすごしか
もしれないが、決まって私の感は良く当たる。
男性は隣の座席にかなり大型の旅行カバンを置いている。一体何が入っ
ているのだろう?

 だが、その中年の男性よりも、遥かに別の意味で異質な雰囲気を持っ
た男がこのバスに乗り込んでいたのだ。
その人物はスキー場へ行くのに、まったくの手ぶらであった。おまけに
、服装はとても雪山へ行こうというスタイルではなく、黒い薄手のフー
ドつきのコートを着込み、頭は帽子もかぶらず、半ば坊主のような頭部
は寒々しく見える…。一体スキー場に何をしに行こうというのか?

 

 私がそんな事を考えながら乗客を観察している間に、バスはいよいよ
山のふもとまでやって来た。スキー場への一本道の脇には、立て看板が
あり「双子岳スキー場 この先5キロ」と書かれている。
この先はスキー場まで、何もない山の中を走ることになるのだ。

「おい、見ろよ。山の木全体が凍ってるぜ?」

頭に響くようなでかい声で、後ろの席から伸びあがるようにコジが言っ
た。彼はウェアの中に、黄色と青の色をしたラガーマンTシャツのよう
なセーターを着込んでいた。

 山の木々は完全に凍りついていて、僅かに覗く陽の光に反射してキラ
キラと輝いている。外の気温はおそらく氷点下を下回る寒さだろう。
あらゆるものが凍りついた光景は、とても美しいものだった。
この雄大な自然と、美しい景色を見ていると私はここに来たのもそう悪
くないな、と思った。

 バスはどんどん山の中腹へと向けて、登って行く。
上へと登っていくごとに、山の景色は原始的な雰囲気を見せ始める。
というのも、この辺りの山々の木々はブナの原生林であるそうだ。
太古の昔からそのままに残る自然の中で、スキーを滑る…そう考えると
少し楽しい気分になってきた。

「…ねえ、香菜。せっかく来たんだし、楽しもうよ!お父さんの事は…
気の毒だったけど…」

 ミッキーは急に真面目な顔で私の座席に顔を伸ばして囁いた。
もう一ケ月になるが、私の父がお酒の飲みすぎで亡くなっていたのだ。
ほとんど中毒のような人で、母と私はかなり苦労をしてきたものだった
が、葬式の時はどこかほっとしていたような気がする。
それでも、ショックが無いといえば嘘になるのだが…

「ああ…もう大丈夫よ。もともと飲んでばかりで家にもめったに帰らな
かった人だったから…」
「…そっか。ま、香菜もこの旅行で素敵な出会いが待ってるかもよ?」

 私は鼻で笑うと、椅子に深く沈むように座り直して言った。

「よしてよ、ゲレンデでアバンチュールなんて欲望丸出しじゃない…」

 笑いながら話しかけるミッキーは、父親が亡くなって落ち込んでいる
私のために、今回の旅行を計画した優しい娘である。
見た目の奇抜さからは想像出来ないくらい、気使いのあるミッキーは
唯一私の親友と呼べる存在だ。

「いいじゃんよ、丸出しでも。別に人に迷惑かける訳じゃなし…あっ、
見てあれ!」

 ミッキーが指をさして言ったのは、バスの窓から見える切り立った崖
であった。その崖に大量の雪が、小さな雪崩の後のように溜まっている。
あれだけの量の雪が、ここへ崩れてきたら私たちはひとたまりもなく飲
み込まれてしまうだろう。

「あれが崩れたら…私たち、この山の中に完全に孤立した状態になっち
ゃう訳だよね?それってちょっと楽しくね?」

 悪戯な顔でミッキーは笑った。

 だが、なにげないその一言がこれから起こる出来事の、最も重要で
危険なものになるという事を、その時の私たちは知らなかったのであ
る…。

 

 

  

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 山の中腹にある、双子岳スキー場が見えてくると私たちは降りる準備
を始めた。先ほど下から見えた「人」という文字の形は、ここのゲレン
デである。かなり急角度で二股に分かれ上に続いていた。

 私はスキーにはそれなりに自信があったが、もう十数年近くやってい
ない。それでも、ゲレンデがどんどん近ずくにつれて気分も高揚するよ
うだった。

 バスは駐車場に止まり、私たちは荷物を持って外に出ると外は急に
日差しが戻ってきたせいもあり、意外に暖かかった。目の前には急な
斜面に建っている双子岳ロッジが見える。今日の私たちの宿泊場所だ。
それほど大きくないロッジで、おそらく泊り客も少ないと思われる。

 

 私たちはさっそくロッジの二階に荷物を降ろすと、天気の良いうちに
一滑りすることにした。

 私はその行程で、宿の構造を把握するために一通り歩き回ってみた。
ロッジの二階部分は、全て宿泊用の小部屋で数は八部屋ほどしか無かっ
た。

 主に重要なものは一階部分にあった。
玄関ホールには大きな窓ガラスが張られていて、正面にゲレンデが見え
るようになっている。そのホールには娯楽施設やファーストフードを
売るお店があり、一休みしているスキーヤ―がコーヒーを飲んでいた。
その隣にはレストランが見える。

 

 

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「それじゃ、一滑りしてきますか?」

 ミッキーはスノーボードを手に二階から降りてきた。
彼女のウェアは白にピンクの星マークの入ったド派手なもので、ボード
もまた派手なピンクでドクロマーク入りだ。

「あれ?男の子二人は?」
「もうとっくにゲレンデに行っちゃったよ?」

 私は気の早い男の子たちに、半ば呆れ顔でゲレンデの方を見ると、
リフトに乗り込む二人の姿が見えた。

「男の子ってこれだもんね…たくっ。」

 私は借りてきたスキー板を手に持ちながら、外へと向かう。
すると、まだ顔色の冴えない亜衣子が二階から降りてきて言った。 

「あのさミッキー、私ちょっと部屋で休んでていいかな?バスで車酔い
したみたいなの…。」
「ああ、いいよ。でも夕食は皆で食べようね。」

 ミッキーはそう言ってウインクして見せる。

「ごめんね、香菜。せっかく来たのに…」
「気にしないで、それより早く良くなるといいね。」

 小さく頷くと亜衣子は二階の部屋へと戻っていった。

 

 外へ出る前に、ミッキーが二人分のリフト券を購入している間、私は
もう一度玄関ホールを振り返った。

 僅かな人しかいないホール内の、娯楽施設の隣に並んでいるガチャガチ
ャを、一人の少女が覗きこんでいた。髪の毛を一縛りした、赤いカーディ
ガンを着た可愛らしい女の子だ。年の頃は十歳くらいだろうか?

 その女の子はこちらに気がつくと、逃げるようにホールの外へと走り去
った。


 それがちょうどお昼過ぎの事だった。
それから以降この雪山での一夜が、恐ろしくも忘れられない記憶となる
のである。

 

(続く…)