ザ・怪奇ブログ

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夜の観覧者 4話

 

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            4  接触 


 10月5日 水曜 正午…


 モラヴィア館を出て交差点を曲がった先に、夏美はスーパーマーケットを見
つけた。時刻は正午を少し回ったところで、朝から降り続いた雨は止み、僅か
に晴れ間も覗いている。

 もちろん掃除用具を買うためであるが、すでに管理人から鍵を貰い許可を受
けた彼女は泊まるつもりでいたので、夕食もついでに買っておこうと考えてい
た。

 柑橘系の洗剤、スポンジ、石鹸、などその他にも掃除用具やら生活用品を山
ほど購入し、カートを押しながら食品コーナーへと向かった。まだ昼を過ぎた
ばかりで、平日と言う事もありお客はまばらである。

 

 


【人の話し声】ショッピングセンター 雑音BGM

 

 

 ここに来る前に、部屋の大雑把な部分は掃除してきたが、汚れを落としたり
、磨きをかけるにはある程度の物は買いそろえておかなければならなかった。

 必要な物を自分一人で探し見つける作業は、今の夏美にはとても新鮮な気分
だった。二十歳を過ぎてからは毎日が忙しく派手な生活だった夏美は、旦那と
二人で購入したマンションへ帰る暇も無いほど慌ただしいものだった。

 そんな事を思い出していると、夏美はこの十年近くでハングリーさを無くし
ていたんじゃないか?新しい街で一人、心おきなく音楽に打ち込む…そんな、
新たな生活を今日からスタートした夏美は、どこかウキウキするような高揚感
があった。

 もちろん、昨日の出来事はあまりに突然の事で夏美にもショックはある…
でも、この新しい生活は彼女の中ではすでに、心に決めていた事なのであ
る。一度決めた事は必ず行う!というのが、夏美の性格だった。


 夕食の品を二・三ほど手に取り、カートを押してレジへと向かう。
レジの前には初老の女性が清算をしていて、夏美は自分の大量の買い物カート
を手に、ぼんやりとスーパーの中を見回す。

 レジの奥にあるファーストフード売り場から、美味しそうな匂いが漂ってく
る。何か醤油かソースを焦がしたような、なんとも食欲をそそられるような匂
いが夏美の鼻を刺激する。見ると、焼きそばやらラーメン類、クレープやパン
類を売る店が並んでいて、数人の買い物客が食事をしながら休んでいた。

 夏美はそれを眺めて、お昼はここで何か食べて帰ろうと思った。
部屋に戻り、食事を作るにはまだ掃除が足りなかったからだ。レジに並ぶ清算
をしている初老の女性が、財布から小銭を一枚一枚出していて、えらく時間が
かかっていたが、夏美は急ぐ事もなかったので、また店内をぼんやりと眺める
ために振り向いた。

 と、真後ろに夏美と同じくレジ待ちの女性が立っていて、何度も鼻を啜る音
をたてながら前のレジの方をきょろきょろと見つめている。手には透明パック
に入れたちくわと、ホットドック用のパンが二つずつ、それにマスタードを持
っていて、振り向いた夏美と真近で目が合ってしまう…。

 その黒ぶち眼鏡の女性は、夏美の大量に買い込んだカートの中身を見て視線
を外し別の方を向いた。

 

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 前の女性がレジの清算を終わり立ち去ると、夏美はカートを押して一歩前に
出る。すると、正面の数人が食事を取っている休息場所に、ある女性が座って
いた。昨日二度ほど見かけた修道服姿の女性である。

 彼女は数個ほどあるテーブルの角に座っていたが、うつむき加減で自分の顔
を両手で覆っていた…。今は修道服ではなく、普通の地味な洋服を着ていて、
何故か彼女は一人泣いていたのである。

「…六千七百円です。」
「はっ?」

 ずっと修道女の方を見つめていたので、突然目の前から声をかけられ夏美は
びっくりしてレジの店員の方へと視線を戻す。

「六千七百円です…。」
「ああ…すいません!じゃあ、これで…。」

 夏美は一万円札を店員に出し、お釣りを貰うとカートを押しそそくさとレジ
を離れた。


「あの…ここ、ご一緒してもいいかしら?」
「えっ…?」

 突然の夏美の訪問に、修道女は驚き泣き顔にも関わらず顔を上げる。

「…あ、ええ、どうぞ…。」

 涙で濡れた顔を慌てて手で拭いながら、修道女は言った。
夏美は彼女の顔を覗き込み、軽く微笑みかけながら椅子に座る。修道女は他に
も開いている席があるのに、わざわざ自分と同じテーブルへやってきた女性を
不思議そうに見つめた。

「…あなた近所の教会のシスターですよね?昨日何度かお見かけしました。」
「ええ…そうですけど、どちら様ですか…?」

 修道女は、焼きたてのシンプルなパン一つと小さなパック牛乳を持っていて
、茶色の髪の毛を後ろで束ねて縛っている。とてもオシャレとは無縁なスタイ
ルの服装だったが、穏やかで清楚な雰囲気を持っていた。

「私、今日こっちに越して来たんです。羽田夏美と言います。」

 夏美は自分の事が彼女に知られても良いという気持ちで自己紹介をした。
当然、教会の目の前で起きた事件は、彼女も知らない事はないだろう…。

「…羽田夏美さん…えっ?じゃあ、昨夜の事件の…!」
「ええ、ビルから飛び降りたの、私の別れた旦那なんです。」

 しばらく二人は無言で見つめ合っていたが、気まずい雰囲気のなか先に話し
かけたのは夏美の方だった。

「昨日ね、ちょうどあのビルで離婚調停の最中だったの。ようやく決着がつい
た矢先にあんな事が起きて…私からしたら、まさかの出来事だったわ。」

 少しだけ寂しそうな表情で話す夏美の顔を見つめながら、修道女は何かを思
い出したようにテーブルの正面に座る夏美に言葉をかけた。

「…それは…お悔み申しますわ。私は坂崎菫と申します…さぞお辛かったでし
ょうね…。」

 修道女は夏美の右手を取り、両手でしっかり握りしめると、たったいま拭い
たばかりの涙をこぼしながら優しい声で言った。修道女の両手はとても暖かか
った。

「いや、だって…突然の事だったし…ちょっとだけ、もしかしたら私のせいか
なって…。」

 彼女の暖かな両手で包まれていたら、夏美は押し殺していた感情が表に出て
きて、その両目から涙が溢れてしまった。あの日、修道服姿の菫を見かけた時
から、夏美はこの人に自分の心の声を聞いてほしかったのかも知れない。

 スーパーの休息所の人もまばらのテーブルに座る二人は、回りをはばかる事
もなく泣いた。

 

 

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 ひとしきり泣いた後、夏美はラーメンを注文しにいった。
たくさん泣いたら、すっかりお腹が減ったのである。

「…菫さんもラーメンで良いよね?」
「あ、あの…私の分はけっこうですから…」

 遠慮がちに断ろうとする菫は、普段からも質素な生活をしていた。もちろん
食生活も含めてほとんど贅沢らしい贅沢もしない。ファーストフードやジャン
クフードなども控えていたのだ。当然ラーメンなどもその内だった。

「いいのいいの、もう注文したから。食べちゃダメって事もないんでしょ?」
「ええ、まあ…」

 夏美は二人分の水を持ってくると、片手で頬杖をつき菫を見ながら笑った。
二人はラーメンが来る間、ぼんやりと回りで食事を取っている人たちを見てい
た。

 買い物中の母親と小さな子供たち。
ラーメンを食べる老夫婦や、焼きそばを食べる作業着を着た二人連れの男たち
、休息所の隣に並んでいるガチャガチャを回し、中身をしげしげと見つめてい
るぼうず頭の妙な男など…スーパーには色々な場所で生活する様々な人々が集
まっている。


 しばらくして、夏美の注文した番号がスーパーの騒がしい中、呼び出しで聞
こえてきた。

「ちょっと取りに行ってきますね。」

 出来たラーメンを取りに夏美はカウンターへ向かう。
その途中、先ほどレジの後ろにいた黒ぶち眼鏡の女性が、ガチャガチャを回し
ていたぼうずの男と同じテーブルでラーメンを啜りながら会話をしていた。

 二人のテーブルを通り過ぎた時、夏美は彼らの会話の中で聞き覚えのある
言葉が聞こえた。夏美は音楽をやっているせいか、様々な音を聞き分ける能力
に長けている。どんな小さな音も、騒がしい中で聞こえる音も、集中すれば聞
きとる事が出来た。それは二つの単語である…。


    『…モラヴィア王国…ラ・テーヌ遺跡…』


 確かにすれ違いざま、夏美はぼうず頭の妙な男が発っした言葉を聞いた。
夏美はその二人のテーブルを振り返り、一瞬だけ彼らと視線を合わせる…。
彼らも何か不思議な表情で夏美を見つめていた。

 だが、自分の番号を呼ばれた夏美は、慌ててカウンターへと急いだ。


「はい、お待ちどうさま。」
「ありがとう。」

 時刻は午後三時を過ぎていたが、少し遅めの昼食を取った。
夏美がラーメンを啜り始めた頃、テ―ブルの正面に座る菫は両手を合わせ長い
お祈りを捧げていた。

「…主よ、この食事の恵みを心から感謝します。この食事を与えてくれた新し
い友人に感謝します。この友人の魂に平安がありますように…この出会いと、
食事を共にする機会をお与え下さり心より感謝します。また、この食事を用意
して下さった全ての方々と、これからいただく私たちを祝福して下さい。そし
てどうか、今日食事を欠く人にもー」

「…長い。ラーメンのびちゃうよ?」

 二人は笑いながらラーメンを啜り始めた。

 

 

 

「…さて、そろそろここを出ようか。」

 ラーメンのどんぶりをカウンターに返すと、ぼうず頭の博士と呼ばれる男が
隣に立つ秘書の女性に言った。

 このスーパーに入った時から、博士は自分たちが誰かに見張られている事に
気ずいていた。おそらく、昨夜あの食堂にいた二人の刑事だろう。しかし彼ら
の目的はあくまで羽田夏美を見張っていたのであって、自分たちはたまたまこ
こに居合わせただけだろう。

「博士…あの人、私たちの言葉聞いたかしら?」
「うん、たぶんね。あの夏美って女性は中々賢そうな感じがしたな。いずれ
何か気ずくはずだよ…さ、行こう。」

 二人は食品売り場の休息所を足早に立ち去ると、スーパーを出ていった。

 


「…えっ?菫さんもモラヴィア館に住んでるの?わあ、嬉しい!」

 意外な菫の言葉に、夏美は驚きと共に嬉しい悲鳴を上げる。
なにせ今日友達になったばかりの菫が、今日越して来たばかりのモラヴィア
の住人だったのだから無理もない。

「ええ、302号室。もしよろしければ、お掃除お手伝いしましょうか?」
「ほんとに?凄く助かるわ。あ…でもシスターのお勤めって朝も早いんじゃな
い?何だか悪いわ。」

 すると菫は少しだけ表情を曇らせたが、すぐに笑顔を夏美に向けて言った。

「…明日は神父様からお休みをいただいているの。だからお手伝い出来るわ。
掃除は一人よりも二人の方がはかどるでしょ?」

 彼女の言葉に、夏美は心底この菫さんは素適な女性だなと思った。
そして、新しい生活のスタートに、こんな素適な友人が出来た事に心から感謝
したい気分だった。

「…ありがとう。ね、菫さん。今夜は飲みましょう!もちろん…シスターでも
お酒は…いけるんでしょ?」

 夏美の言葉に菫は目を大きく見開くと、くるりと一回りさせてから言った。

「ええ、もちろん好きですわ。」

 
 それを聞いて夏美は嬉しそうに休息所のテーブルから立ち上がり、菫さんと
一緒に日も陰り始めた街角のモラヴィア館へと戻っていった。

 


「…あの妙な連中、羽田夏美と何か言葉を交わしたのでしょうか?」

 二人が休息所を通り過ぎていくと、休息所の外れにある化粧室への通路から
見張っていた若い女刑事が利根川警部に囁くように言った。

「どうかな?連中が何者かは知らんが、あの羽田夏美の周辺にその目的がある
ようだ。となると…飛び降り自殺の件も何か裏があるのかも知れん…。あの日
以来、離婚調停の弁護士が姿を消しているのも気にかかる…。」
「裏ですか…?」


 …しかも、今我々の目の前でよりにもよって羽田夏美と同じ、モラヴィア
の住人である坂崎菫の二人が接触していた。この修道女は十数年前、記憶をな
くしてモラヴィア館の前で保護されたという奇妙な過去を持つ…。

 離婚調停の当日、飛び降り自殺を図った男を旦那に持つ羽田夏美と、記憶を
無くして今に至る修道女の坂崎菫…。

 そしてこの一週間、この街で起きている奇怪な連続死亡事件の周辺に現れる
という謎の美女は一体何者だろう?彼女は連続殺人犯なのだろうか?

 その回りに現れた、奇妙な二人の男女。彼らの目的は何だ…?


「…警部、あの妙な二人組みは、私に見張らせて下さい。」
「分かった。くれぐれも慎重に頼むぞ?私はもう一度、それぞれの死亡事件を
洗い直す。」

 二人の刑事は夏美たちが立ち去ったスーパーを出ると、別々の方向へと歩き
出した。


 警部は、これまでの経過を思い出し、この街で起きている事件が想像以上に
複雑怪奇なものなのではないか?と感じた。

 そして、何故かは判らなかったが、我々にはあまり時間が残されてはいない
のではないか?何か…このままでは手遅れになってしまうのではないか…と、
得体の知れない悪寒のようなものが湧き起こるのを感じていた…。

 

(続く…)